百物語 十八回目「シンクロニシティ」

はじめてユング心理学のこの概念に出会ったときには、ものごとが起きたときに働くこころの動きのことを指しているのかと思った。
実際にユングの考えていたことが判ってきたのは、アーサー・ケストラーの偶然の本質を読んだくらいのころだろうか。
おそらくそれは。
エヴァレットの多世界解釈と、魔術の混合のようなことかもしれない。
現実に、シンクロニシィティと呼べるような事象に遭遇することはまれであるが。
一度だけ、そのような経験をしたことがある。

10年ほど前のことである。
当時は小説を書いてネットで公表するようなことをやっていた。
大したものが書けた訳ではないのだが。
まあ、こころに浮かぶ妄想をそんな形ではきだしていたということだ。
ある日おれは、こんな言葉がこころに浮かんだ。
「その日ひとは誰もひとを殺さなかった」
なんの脈絡もないままその言葉がこころに浮かんできたので。
無理矢理な形で小説の中に組み込んでしまった。
それから数週間たったある日。
ほんの偶然で手にとったマンガ雑誌で同じ言葉を見いだすことになる。
その時おれは。
自分がその雑誌を手にすることを知っていたかのような。
不思議な思いに捕らわれた。
そのこと自体になにか意味があった訳ではないのだが。
あたかも。
おれが、シンクロニシィティというもの理解できていないということを指し示すために。
言葉がおれに降りてきたのだと。
そんなふうにも思った。

 

 

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