百物語 二十五回目「グノーシス主義」

゛果たしてキリスト教徒を最も陰惨に迫害し、虐殺した宗派はなんだろうか。
それはもう、疑う余地もなく明白である。
キリスト教徒は大量のキリスト教徒を迫害し虐殺してきた。
邪悪な教えを信仰したという理由で。
例えば、プロテスタントカトリックを。
カトリックプロテスタントを。
邪悪として否定し、互いに殺しあってきた。
中世ヨーロッパ最大の虐殺とされるのは、あの有名なアルビジョア十字軍である。
カトリックはフランス南部を中心として広がった、カタリ派を弾圧し、未曾有の大虐殺を行った。
しかし、外から見るとカタリ派であろうと、プロテスタントであろうと、カトリックであろうとさして大差はないように思える。
いや、当事者のキリスト教徒でさえ。
例えば、カタリ派の調査を行ったクレルヴォーのベルナルドゥスは、カトリック以上に敬虔なキリスト教徒であると、評している。
アルビジョア十字軍を指揮したカトリック大司教はこう言った。
カタリ派カトリックをどう見分けるのかという問いに対して、「見分ける必要などない。どちらも殺せ。神が見分けてくださる」と答えたという。

カタリ派はいわゆるグノーシス主義の流れをくむという。
グノーシス主義マニ教の世界観に影響を受けたといわれるが、驚くべきなのは何よりその徹底した旧約の否定である。
旧約の神は妬みの神として、そして悪しき造物主として退けられる。
そもそもこの世界は悪しき造物主の創った暗く深い地下の牢獄のような場所とされる。
そして、真の神から盗み出された光の種がひとの魂である。
キリストはその真の神から盗みだされた光の種である魂を救済するために、遣わされたものなのだ。
グノーシス主義は、救済は知識をもって成されると語る。
だから、エヴァに知恵の実を授けた蛇は、偽りの楽園に囚われたアダムを救済しに姿を変え訪れたキリストであるという。

さて。
知恵の実を食す行為を罪としなかったひとがひとりいる。
スピノザである。
そもそも神は何も禁止していないという。
哲学者のシオラングノーシス主義を評し悪を神のせいにできるとは、便利なことだという。
スピノザは、悪などなく良い出会いと悪い出会いだけがあるとする。
結局のところ。
世界に悪を感じるのは、意識の錯誤であるという。
これは、グノーシス主義より納得がいきやすい。
過ちとは。
世界の側にではなく、そもそも世界はニュートラルなもので。
それを見るおれたちの意識に入り込んだ歪みこそが。
過ちを産み出す。

なるほど、そうかも知れないと思うこともある。

 

 

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