百物語 三十五回目「サイン」

学生のころの話である。
おれたちは、学生会館の一室をアトリエとして借り受けて、そこで作品制作を行っていた。
そのアトリエは結構広い場所であったが。
なぜか、大量の廃材が置かれてあり。
おれは、意味もなくそこで廃材を叩き壊したり、角材を振り回してへし折ったりしていた。
そのころのおれは。
自分の中から沸き上がってくる情動に振り回されていたように思う。
何か自分の奥底から沸き上がる無色の力。
どこにも向かわぬ、何も形成しないような、ニュートラルの力が。
おれをひきつかみ、振り回している感じだった。

おれは、避難するように、映画館に入り浸った。
そこには闇があり、おれは音響と闇の中へと溶け込むことで。
自分を無にすることができたような気がする。
ドラッグストア・カウボーイ。
そのころ見た映画のひとつだ。
それは、世界が語りかけるのを聞くということを描いた映画である。

数学者のペンローズが主張する量子脳理論は、とんでも系の扱いをうけるけれども。
おそらく実証できないのと同じ程度に、反証も困難である。
丁度、ユングが神の声を聞いたというのを、否定できないようなもので。
それが、なんらかの形で世界を説明するのに有効であるのなら、コペンハーゲン解釈のようにそれを使用する取り決めを行ってもいいと思うのだが。
ペンローズは、脳内で波動関数の収縮が起こると主張する。
それは、量子重力により自壊が起こるのだという。
脳の内部では、様々な世界が重なりあって存在する、いわゆるコヒーレントな状態が形成される。
そのコヒーレントな状態が閾値を越えると、量子的跳躍、波動関数の収縮が起こるのだ。
ドラッグを使用することで、脳の内部のコヒーレントな状態は加速される。
ドラッグはある意味幻影のように存在する収縮しなかった無数の可能的世界を呼び寄せるのだ。
そして、それらの世界から。
呼び声が。
量子的跳躍により、彼岸より訪れた声が。
おれたちに呼び掛ける。
それが「サイン」である。

おれはかつて。
そのサインを得た。
ドラッグストア・カウボーイの主人公がベッドの上の置かれた帽子を見たように。
そして、それは。
おれの中でマグマのように渦巻いていた力の源を、根こそぎ。
持ち去っていったのだ。
おれは空洞になりながらも。
生きていた。
理由もわからぬまま。
おれの中でコヒーレントに重なりあっていた世界は。
ひとつになる。
不在の世界。
空白の世界。
そう、おそらくシモーヌ・ベイユがたどり着いたであろう。
不在であることが、唯一の奇跡の証明であるような。
そんなビジョンを。
サインはもたらしたのだ。

 

 

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