百物語 三十九回目「夜を歩く」

僕らが辿り着いたのは、とても小さな駅だった。
僕とあなたは、夜の闇に浮かんだ白い孤島のようなプラットホームから降りると。
銀色の雨が降る夜道へと歩みだす。
僕らは記憶をたどるようにして。
そう、古い古い記憶をたどってゆくようにして、銀色に輝く雨の中をゆっくりと歩き出す。
ああ、そうすると本当に。
あなたとの記憶が揺さぶられるような気がして。
傍らを歩むあなたに思わず目を向けると。
あなたはそっと、闇の中でその大きな黒い瞳を見開いて微笑んでみせる。
あなたも同じように。
僕と記憶をたどっているのだと思うと。
それに勇気づけられれ、僕はさらに歩きだすのだが。
けれど間違いなくその銀色の雨に彩られた夜の道を歩くのは、はじめてに違いないのだけれど。
それでも、僕らは遠い記憶を遡るようにして。
そこに向かったのだ。
その黒い入り口には、蒼白く輝く篝火が立てられており。
その大きな光に僕らはほっと溜息をついて。
夜よりさらに暗いその洞窟へと入っていった。
ゆるやかな階段を僕とあなたはそっと下ってゆくと。
そのもっとも深い地下の底に。
ふたりして身を横たえた。
あなたは僕の胸に手をあて。
優しくその手で僕の身体を撫でてみせる。
蜜のような親密な空気が、闇の中に満ちてゆき。
けれど、そのあなたの寂しく微笑む黒い瞳の奥には。
あなたが失ってきた幾つもの、そう幾つものときの欠片が傷跡となり残っているようで。
僕は切なさのあまり、あなたを抱きしめるのだけれど。
そうしても。
肌と肌をどんなに触れあい、あなたを強く抱きしめようとも。
あなたに残された暗い傷跡にも、あなたの置き去りにしてきたいくつかの愉悦にも、あなたの与えてきた幾ばくかの愛にも。
遠く届かぬような気がして。
どんなにしても、それに触れることは叶わぬような気がして。
ああこの、ここまできてこの夜ですら、僕はあなたに遠く届かぬというその苦しさに耐え切れず、そっと吐息をついて天井を見上げれば。
ドーム状になった岩の屋根は、星の煌きのような鉱石の輝きを幾つも幾つも纏っており。
それは夜の星々の模倣であり、模倣であるが故のこの世にあらざる美しさをもって輝く。
夢のような、そう儚い一夜の夢のような、あるいは夢の中で語られた物語のような。
そんな気がして。
僕はその星々を見つめていた。
そして。
さらさらと。
砕かれた骨のように白く。
撒き散らされた灰のように軽い。
砂がさらさらとさらさらと。
僕らの上へと流れ込みはじめ。
僕らは輝く偽りの星々を見ながら、地の底へと沈んでゆくのだけれど。
気がつくと。
僕らを見つめる影たちが輪となってとりかこんでおり。
ああ、僕の地も肉も、あなたたちに差し上げよう。
それで僕が生きていたことの意味となるのであるのならばと。
その影のようなひとたちに囁きかけると。
あなたはそっと。
あなたはそっとその深淵を写しこんだような大きく黒い瞳で僕に微笑みかけ。
暖かな小さく華奢な手でゆっくりと。
僕の胸から下腹へと撫であげると。
赤い唇を僕の心臓へと押し当てたのでした。

 

 

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