百物語 五十一回目「人狼」

15年ほど前のこと。
おれの仕事場は地下にあった。
そこは、当然窓はなく人工の照明のみで、温度調節も空調のみなので。
外の気配は知るよしもなかった。
そんな場所なので、ただひたすら仕事をする以外にどうしようもなかったのだが。
昼も夜も。
季節も感じることもなく。
ただ仕事を終えて夜の闇へと溶けて行くだけの生活だったので。
いつしか、おれのこころは麻痺していった。
いわゆるひととしての感性がもともと薄かったせいか。
おれは、その人工の異世界の中へと馴染んでいく。
それは、ひとでありながらひとではなく。
生きていながら生きてはおらず。
かといってむろん死者でもないような。
そんな感じであったのだが。
そのころつきあったおんなたちは皆、何を考えてるか判らないといっておれから離れていった。
そのうちのひとりは、おれにこんなことを尋ねた。
「あなたは、狼男なの? それとも吸血鬼なの?」
おれは、躊躇わずにこう応えた。
「おれは人狼だよ」

狼男とは。
よく知られているように、中世ヨーロッパではアハト刑を受けたひとに対して与えられる呼び名であった。
アハト刑とは。
生きながら死者として扱われる刑である。
その刑に処せられたひとは、狼の皮を着せられ森へと放逐され、こう呼ばれるようになる。
人狼と。
そのひとたちは、この世界での生を剥奪され、別の異世界にて生きるものであると信じられていた。
かつて。
世界とはひとつではなく、いくつもの世界が重なりあって存在すると信じられており。
人狼はその世界の間を往き来するさ迷いびとであった。
はたして。
アハト刑に処せられたひとたちは、何を思いどう生きていったのかはよく判らないが。
もはや、古典的な概念としてのひとの外側にて生きるものとなったのは間違い無いだろう。
ひとという存在は様々な文化的装置や、社会的インフラストラクチャアの中ではじめて成立する存在なのだから。
人狼はまさに。
生者にして生者にあらず。
死者にして死者にあらず。
ひとにしてひとにあらず。
獣にして獣にあらず。
無限に続くであろう、生成変化の荒野を。
ただただ疾走するだけの存在であったのだろうと。
おれはそう思うのだ。

それから後。
おれは日本中を移動しながら仕事をする、ある種放蕩憮頼の生活へと入ってゆくことになるのだが。
おれは未だに自らが人狼であると。
そう思ったりもする。

 

 

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