百物語 六十九回目「イボイボ」

「こまわりくん、ってマンガがはやったじゃあないですか」
「ああ」
7年ほど前のことだったか。
仕事場の裏から出てすぐ向かい側に、朝四時までやってる飲み屋があった。
いつも真夜中に仕事を終えると、その店にいって飯を食い酒を飲み、埒もない話をしたものだった。
「そのこまわりくんの作者が、こまわりくんの前に描いていたマンガに、いぼぐりくんというのがあって」
「ああ?」
「頭がいがぐりではなくて、いぼぐりになってるんです」
「なんだよ、いぼぐりって」
「最初にそれでブレークして、いぼブームを起こしたんですよ」
「嘘つけ、知らねえよ。そんなの」
「いやいや、ねえ、ありましたよねぇ」
「いやあ、聞いたことないですねえ」
「ありましたって、いぼぐりくん」
「だから。エビデンスをだせ、エビデンス
おれは。
嘘を吐いているつもりはなかったのだが。
あまりに間抜けなことばかり言っていたせいか。
とんでもない嘘つきのように思われていたかもしれない。
まあ、おれの人生がでたらめだったから。
聞いているほうからすると、なんだそれ。
となったと思う。
そう考えるとおれの言葉は、意味と非意味の境界をふらふらしてたんだろうなと。
今にしてみると、そんなふうに思える。

イボイボは。
YBO2と書くとバンド名になる。
80年代の半ばごろ、西のボアダムズ、東のYBO2と並び称された。
ボアダムズはかの、はなたらしの山塚アイがひきいるバンドであり、問答無用の迫力があった。
YBO2はサブカルチャー的なキーワードを色々と散りばめて出来上がった感じもあり。
色々なものをつき抜けて、疾走していく感じがあったボアダムズと比べると。
異様さや特異性がポストモダン的な文脈に回収されてしまうような感じはあった。
のちにバンドをひきいる北村昌士はYBO2を「ワイビーオーツー」と呼ぶようにと言ったそうだが。
もともとはイボイボであり、そもそもマンガのいぼぐりくんから拝借して名付けたともいわれる。
YBO2は、例えばミシェル・フーコーの狂気の歴史のような視点から近代をとらえて音楽を構築していったとか。
コピーとオリジナルの二項対立そのものを無化することを、ゴジラの咆哮のようにも聞こえる轟音の中で実現したとか。
色々語ることも可能であるが。
しかし、実際のYBO2の音にふれると。
それは、言葉により語れるようなものを。
つまり、意味というものが作り上げているような世界を。
崩壊させてしまうような。
高速で振動する聖なるカオスを呼び覚ますかのごとき。
轟音。
轟音。
轟音。
それだけが。
つまり、ノイズが歌ううたが、非意味の彼方より、生命の根源を引き起こしてこるような。
無から有への命懸けの跳躍を見ているような。
そんな感じがする。

おれはまあ、ある意味ノイズのような言葉を語りたかったのかもしれないが。
虚構をしかけるよりも。
自分の人生を率直に語ることによって。
ノイズに近づいていくというのは。
なんだか笑える人生を歩んでいるのか。
とか。
まあ、思ったりもする。

 

 

 

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