百物語 八十九回目「ポルポト」

西原理恵子がイラストを書く場合、ほぼ間違いなく元の文章と全く関係の無いカットを描くのであるが、おそらく意図的になのであろうが、元の文章を喰ってしまうようなカットを描いている。
唯一、西原のカットと互角に存在感を示すことができたのは、アジアパー伝の鴨志田穣くらいのものではないだろうか。
このアジアパー伝の中に、ポルポトNO2であったイエン・サリが登場する。
本当なのかどうかは判らないが、西原はイエン・サリに会ったと語っていた。
まるでおれの記憶の中では、夢の中の風景を描いているような、あるいは霧につつまれた白日夢の風景を描いているようなカットであったと思う。
西原は、イエン・サリの手が小さかったというようなことを語っていたように思う。

ポルポトカンボジアでオートジェノサイドを行ったのは多分おれがまだ高校生くらいのことであったと思う。
おれがことの全貌をおぼろげに知ったのは、学生になってからであっただろうか。
400万を殺したとされているが、実態はよく知らない。
実はそんなに殺してはいないという左翼思想家を、笠井潔はボディーカウンターとこきおろしていた。
多分、問題はそんなところにあるのではないだろう。
SPKというロック・バンドがいる。
泌尿器科の略称をバンド名に据えた彼らは、初期は徹底的にアバンギャルドサウンドを作り出していたが。
まあ当時の(1980年代の終わりから1990年代の半ばくらいまで)バンドがほとんどそうであったように。
SPKもまた、ヒップ・ホップやダンス・ミュージックへと方向転換してゆく。
そのSPKがカンボジアというダンス・ミュージックでこんな歌詞を残している。

「そして、カンボジア石器時代へと戻っていった」

ポルポトは、あらゆるものを撤廃した。
学校、病院をはじめとするあらゆる公共施設、そして貨幣も撤廃した。
文化人は皆殺しにされた。
まあ、それだけではなく、さらに多くのひとびとも殺された。
殺戮に対する情熱は、キリスト教徒と比較してもそれほど遜色はない。
もちろん残虐さや殺した数ではキリスト教徒には劣るであろうが。
その熱心さや、殺戮への欲望は同じレベルではないだろうか。

後、いくつかの逸話が残っているが。
例えば、ポルポトの兵士が死体の内臓を引きずり出し、それを見ながら。
「これを食べると鳥目に効くんだ」
と言ったとか。
あるいは、死体から引きずり出した内臓にワインをかけながら、こう言ったという。
「これをかけると美味いんだ」
このへんは、今となっては検証しがたい部分であり。
実態はよく知らない。
ポルポトにはガス室などなかった。
ナチスはいかに効率よく虐殺を行うかを、研究し実践していたが。
ポルポトは単純に棍棒で殴り殺してゆき、死体は穴へと放り込んで言った。

スターリンは歴史上最も大量の虐殺を行ったと思う。
数的に言えばヒトラーを子供扱いできるのではないだろうか。
共産主義というものが不可避的にもたらすものが、虐殺ともとれるのだが。
けれどポルポトにはそうしたものには回収しきれないような異様さがつきまとう。
笠井潔は、浅間山荘からポルポトへと至る観念の倒錯を緻密に子細に分析している。
笠井潔はそれを自己の問題としてとらえたからなのだろうが。
しかし、実際は少し違うものを感じる。
そもそも人類の歴史の中になぜ、これほど大量の虐殺があるのだろうか。
それは、バタイユの語る蕩尽やポトラッチなどでは説明しきれないものがあると思える。
政治家の栗本慎一郎が語ったこの言葉が一番、感覚的にはしっくりする。

ポルポトは、たまたまひとを殺してみたら気持ちよかった」