百物語 六回目「天使の羽を持つひとと会う」

15年ほど前の話となる。

そのころおれは、この島国のいたるところを渡り歩いていた。
バブルが崩壊したとはいえ、まだ今ほど経済は壊滅的なところまで来てなかったので。
地方でもまだそれなりに仕事がとれたし、仕事のあるところにはどこにでも行った。
当時の上司がでたらめなひとであったため、おれは独立愚連隊のように好き勝手に動いていた。
それこそ南の端から北の果てまで、日々移動して。
行った先では毎夜おんなのこがつく店で明け方まで飲み続け、翌朝までに酒を抜いて仕事場に出た。
ある意味、放蕩無頼な生活だったかもしれない。
まだ世の中がそのようなでたらめを許容できる程度には、おおらかさを残していたということでもある。

それは、夏の盛りのことであった。
おれは、北の地に来ていた。
例によって深夜まで飲み続け、三時ごろに店をでると街をさ迷っていた。
北の果てでは、夜中の三時ともなればそらは、薄く白んでくる。
乳白色に染められたそらの下、まだ地上には闇があちこちに残っており。
ひとかげもない街は、夜ともいえず朝でもないベールのような影に覆われた冥界のようでもあって。
おれはそのどこか湖の底のような薄闇を歩き回っていた。
その日何かイベントでもあったのかどこのホテルも満室であったため、あとはサウナでもいって朝まで時間をつぶすしかなかったのだが。
それも億劫なものがあり、薄冥の街を彷徨くことになった。
そこは、大きな街であり、歓楽街であったのだが。
少し大通からそれ、奥のほうへ入っていくと。
静かで寂れた町並みが姿を表す。
なんとなく、表の街が芝居のセットでありこの裏通りが舞台裏であるような感覚をもちつつ。
白いそらの下黒い影を湛えた道を歩いていた。
それは小さなアパートのような建物で。
一階にはラーメン屋があり。
その隣にその店はあった。
関西圏ではあまり見かけないタイプの風俗店で。
ビデオボックスと呼ばれる、強いていえばネットカフェにおんなのこがついてくれて性的なサービスをしてくれるような店である。
おれは、夜明けまでの時間潰しにその店に入ることとした。
見るからに怪しげな店ではあったが。
まあ、そんなことを気にしないほど若さの残照が残っていたとうところだろうか。
たぶんそのときのおれは、孤独であり人肌が恋しい気分だったのだろうと思う。
部屋に入ると、どこか環境ビデオめいたグラビアアイドルを淡々と映している映像を眺めている内に。
そのこが入ってきた。
少年のように小柄で、綺麗な顔立ちではあるが孤独を鎧のように纏った感じの。
そして剥き出しになっている痩せた手足がどこか痛々しい。
そんな感じのおんなのこであった。
仮面のように美しく化粧をした顔で、セクサロイドのように微笑んでみせるそのこは。
おれの眼差しに気づいたのであろう。
その手首に残された、白い傷跡に向けた眼差しに。
おんなのこは、乾いた口調で冗談みたいに言った。
「あたしリストカット症候群なの」
おれは、一体そんな症候群なんてあったのだろうかと思いつつ。
彼女の話を延々と聞くことになった。
まるで、そうカウンセラーのように。
これといって口をはさまず聞き続けた。
医者に薬を処方されて飲んでいるらしいが。
時おりそれを止めてみるらしい。
まるで、自分のいる位置を確かめるかのように。
そうすると。
日が沈み闇が訪れるように確実に。
死への衝動が彼女をとらえるというのだ。
彼女の意思に関わりなく。
それが必然というように。
闇が彼女を飲み込んでいく。
そのあとおれは、一時間ほど延々と話をすることになる。
それは、脳内のノルアドレナリンドーパミンの分泌が異常になってるせいで。
糖尿患者がインシュリンの投与を止めると危険なように。
薬をやめてはいけないと。
フィジカルな原因を持つ病は精神ではどうしようもないので、薬に頼るしかない。
彼女は判ったとこたえたのだけれど。
いったいおれたちの間で二時間近くかけて交わされた会話に意味があったかは判らない。
もう、店を出る時間となり。
性的なことは何もしないままだったのだけれど。
おれは、絵を描くように彼女の顔の輪郭を指でなぞっていった。
そして、そっとその唇に指で触れ。
その笑みを指でなぞった後に。
おれは自分の唇をそこに重ねた。
そのままおれは彼女を抱き締めて。
その首筋に唇を這わし。
背中に目をやると。
そこに翼があるのに気がついた。
おれは、翼があるねと問いかけた。
彼女は乾いた笑みのまま、答える。
「そう。天使の羽なの。可愛いでしょ」
おれは、もしかするとずっと探し求めてきたおれに恩寵としての死を賜る運命の天使にここでであったのかとこころ震えるまま、彼女を強くだきしめたが。
当然のように何事もおきず。
おれはやたらと高くついてしまった料金を払って店を出た。
もう、地上の闇も薄れ。
無慈悲な朝が闇を駆逐するのを見ながら。
おれはサウナに行き仕事場へいくまでの段取りを頭の中で組み立ててゆき。
まあ、夢だったのだろうなと。
ぼんやりとおもっていた。

 

 

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