百物語 四回目「神のすまう場所をとおりすぎる」

それは10年近く前の話となる。

おれは、百段坂を登りきったあたりに住んでいた。
百段坂は元々その名のとおり、段々となった坂であったらしい。
しかし、今では舗装され平らで長く急な坂道となっている。
その坂を登りきったあたりの安アパートで、おれはひとりで暮らしていた。
あれは、夏が終わり秋が始まったくらいのころだろうか。
休日の前夜は明け方まで飲み続け、夜明け前に部屋へ戻ると昼過ぎまで眠る。
昼過ぎに起きると掃除洗濯を片づけて、夕暮れどきに近くのスーパーへ買い物へゆく。
それがおれのいつものパターンだった。
近くのスーパーは百段坂と反対側の坂を下ったところにある。
そこはこの島国の都心から車で30分ほどの場所とは思えないくらい、閑静な住宅地であった。
百段坂の反対側には迷路と化した住宅地が広がっており、何年も暮らしたはずなのに油断すると迷ってしまう場所だ。
その日、おれが出掛けたのはちょうど太陽が西の果てへ隠れたくらいの。
そう、逢魔が刻と呼ばれる時間帯で。
西のそらは誰かが血をこぼしたかのように紅く染まっており。
天頂へゆくにしたがってくらさと蒼さをましてゆき。
東の空は海の底みたいな藍色になっていたとき。
行き交うひとたちはうすっぺらな影となっていて。
どこか浮ついた音にならない声にならないざわめきがあたりを満たしていた。
そして、誰かがとおいところで声にならぬ声で鳴いているような呼び声が聞こえるような。
そんな錯覚を纏いながらおれは歩いていたのだが。
そこには住宅地の一角に大きな森が蹲った闇のように存在していて。
このあたりの街は、大抵見渡す限り住宅地となりビルと家で埋め尽くされているものなのだが。
そんな森があるなど不思議なものだと思いつつ、そこをとおりすぎようとした。
その時。
母と娘であろうふたりが足はやにおれを追い抜いて。
ふっと、目の前の角を曲がった。
その方向には森しかなく、そんなほうに曲がる道があったこと自体におれは驚いたのだが。
その曲がり角の先をみて、おれはさらに驚くことになる。
森の渦巻くような深く黒い闇の中に。
西のそらから光を得たように紅い鳥居が浮かび上がっていた。まさにそれは、こちらとあちらの境界に立ち尽くしているように。
異様な存在感をもって闇を紅く照らしている。
母と娘はシンクロしたように綺麗な同期をとった動作で鳥居の向こうにある神社に一礼し柏手を打つと、足はやに通り過ぎて行った。
おれはその時。
まるで陰と陽が入れ替わったような。
突然無意味な欠片たちがパズルのピースとなり、ひとつの絵を描きあけたような驚きを持った。
そう、この森は余剰な部分などではなく、むしろ。
この街の中心として百段坂を登りきったところに君臨していた神のすまう場所であると、はじめて気がついた。
それはこころの中にその意識がなければ、ただの闇として隠されてしまうが。
あらためてその黒々と聳える森を見ると闇の中に様々な息遣いや気配を感じるようで。
それは大きな生き物のように全てを見下ろし支配しているように感じられる。
おれは少しぞっとしつつその場を立ち去った。
グレッグ・イーガン順列都市という小説の中で。
メタレベルの存在はその存在を誰からも認識されなくなったら消えてゆくのだが。
逆にメタレベルがあることを認識し始めると。
思考の中にその存在を認識するような構造が構築されるのだと。
そんなふうに思ったものだ。

 

 

 

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