百物語 九十回目「幽霊」

おれは結局のところ。
書くことあるいは、描くことをつうじて。
言語化される以前の世界。
言葉によって構築される以前の意識へと。
遡ってゆくことを望んでいたのではないかと思う。
それはいうなれば。
豊穣なカオスへの回帰を夢見ていたということであろうか。

幽霊とは、デリダが使っていた言葉のひとつである。
幽霊とは複数存在するものとされる。
ただひとつの神ではなく。
複数の幽霊へ。
不在神学では。
論理体系が不可避的に呼び込むであろう綻びに注目する。
その唯一の綻びこそが、超越を、神を呼び込むことになるであろうか。
それに対して幽霊は。
郵便のことから話さねばならない。
郵便は届かないところから、語り始めなければならない。
わたしからあなたへと投げた言葉は。
届かないかもしれない。
それは失われるかもしれない。
または遅れて、ふいに届くかもしれない。
もしくは差し出したわたしの元へと、返ってくるかもしれない。
そもそも。
あなたという他者に。
投げた言葉が届くということが、ありえるのだろうか。
それは、否定神学における唯一の亀裂ではなく。
無数に裂けた傷口なのであり。
それは無数に浮遊するであろう、幽霊なのだ。

わたしからあなたへと投げた言葉は。
無数の可能性の中を浮遊していくのであろう。
それは、潜在性の領域のなかで、現実化しえないままひとつの裂け目として消失してゆく、幽霊となり。
全体は縫合されることなく。
わたしの意識は言語化以前の領域へと差し戻されることになるように思える。

幽霊とは。
わたしからあなたへと投げてゆきながら受け取られることもないまま消失していくであろう数々の可能性であり。
失われるであろう様々であり。
意識ににとどくことのない、なにものかでもある。