百物語 四十九回目「村正」

大体3年ほど前のことになるだろうか。
その街は、多少古い町並みを保存しているらしかったが。
まあ、古い商店街や昔ながらのお寺があったりする、ありふれた街ではあったのだけれど。
街全体を、博物館ということにしているらしくて。
ただの和菓子屋とか新聞屋とか生地屋を博物館と呼んでいるのだけれど。
それらは単に変哲のない普通の店があるだけだった。
休日の昼下がりにその街をふらふら散歩していたのだが。
今時珍しい刃物研ぎの店があって。
古物商も営んでいるらしく。
古い刀剣を展示していた。
ふらりとその店に入ってみたのだが。
工芸品のことについて何か知識があるわけではないので。
ただ漫然と日本刀を眺めていたのだけれど。
とても美しいと思えた。
それは武器と呼ぶには、とても端正で清冽すぎるように感じる。
例えば、西欧の剣は鎧の上から殴りつけることを前提とした、ある意味鋼鉄の棍棒としての性格も持つ無骨なものであるが。
日本刀は斬るということにひたすら特化していった、不思議な武器である。
伝統工芸の世界では、用と美という二つの概念から成立するのだというが。
日本刀は限りなく、美というものに近づいていったように思う。

村正は。
ひとつのブランドであり、ある刀工たちが作った刀につけられた総称であるから。
それは何本も存在するらしい。
妖剣とも呼ばれ、徳川家に災いをもたらす剣ともいわれるようだが。
実際には、徳川家のひとが収集していたりして、必ずしも忌み嫌われたわけではないようだ。
刀としては極めて優秀らしく。
戦時中の試し斬りの記録では死体を五体以上斬っても、刃こぼれしたり刀身に歪みが出たりすることは無かったという。
刀というものには。
様々な伝説や伝承がつきまとう。
遠く遡れば、例えば天の群雲の剣を始めとして。
童子斬りや骨喰みに雷斬りといった様々な伝承を纏った刀がある。
宮本武蔵は、槍と刀を持ったものが対峙すれば、同格の技量の場合槍が有利と語ったらしいが。
戦場で使われるのは槍である。
刀では鎖帷子に斬りつけても、刃こぼれするだけなので。
当然、鎧を貫ける槍が必要になるのだが。
刀を帯びることは武士にとって必然であったようだ。
それを使ってみせたのはどちらかといえば、武芸者といわれるひとたちで。
彼らは芸者であり、エンタテイナーでもあるのだろうけれど。
そもそもその武芸者たちの始祖へ遡ってゆくと。
いわゆる鬼一法眼というひとにつきあたる。
このひとは兵法者であるとともに、陰陽師でもあった。
まあ史実がどうであったかまでは知らないが、陰陽師を始祖とすることからすれば、神秘思想と武芸は密接に繋がっていたと考えられ。
そもそも。
刀というものは、太古においては儀式に使うための神器であったのではないかと思う。
いや、多くの工芸品、それが陶器であろうと染物であろうとも。
その多くは神秘思想に繋がっており、神器としての性格を帯びていたと思える。
むしろ。
中世以降に工芸品は、その神秘思想から独立し、道具としての側面を現わし始めたのではと思うのであるが。
まあ、きちんとした根拠を提示できるものでもないので。
単なるおれの妄想という話になるのだが。
美とはそもそも。
神に捧げるものであったのだと。
そんなふうに思う。

 

 

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