百物語 四十八回目「くだん」

5年ほど前の話である。
赤坂のあたりで仕事をしていた。
おれは、5人ほどのチームのリーダーであり、例によってデスマーチの真っ只中であった。
「今呼ばれて、スコップを渡されました」
「何だよ、それ」
「それで、足元に穴を掘れって言われました。その後穴に入ったら上から土をかけてやるって言われました」
「いや、訳が判らんし」
まあ、こんな感じで。
毎晩午前零時を過ぎたころに仕事を終えて帰っていた。
当時は出張で東京に来ていたのだが、常宿にしていたホテルは神田であった。
いつも赤坂から神田へとタクシーで帰っていたのだが、不思議なことに。
なぜか牛をいつも見かけることになる。
もちろん作り物の牛なのだが。
一ヶ所ではなく、何ヵ所かで。
ライトアップされた牛の彫像たちが。
あるものは東南アジア土産でよく見る置物風のエスニックな感じであったり。
現代芸術ふうにデフォルメされたものだったり。
民芸調であったり。
多分毎回タクシーで帰る道は違ったのだろうけれど。
毎度色々な牛を見かけることになった。
深夜に佇む牛たちが、ある時は蒼ざめた、またある時は紅い照明を浴びながらおれを見送っていた。
それは、何かをおれに告げるためにそこかしこに配置されたものなのではないかと、思えたりもした。

くだんとは、件であり。
いわゆるひとと牛が合わさったような妖怪である。
牛から生まれおちるがひとの顔を持ち。
凶事の予言を行う。
予言が成った時に、くだんは死ぬとも言われる。
よって件のごとし、という言葉は。
くだんの予言のように、はずれる事がなく、確実であることを示すとの説もある。
コヒーレントな状態で様々な可能性を持って平行して存在している世界が。
凶事に向かって一意に収束していこうとするときに。
世界は不吉の象徴を様々な形で産み落とす。
それは、それを受けとるひとによって様々な形態をとるであろう。
それは、量子的重力の崩壊によって現れる。
不吉の使者なのだろうけれど。
くだんは。
そのような現れの象徴的な顔なのだろうと思う。

おれは。
その数ヵ月後にさらに激しく混乱しているデスマーチへと突入していくことになるのだが。
果たしてそれが凶兆を告げるくだんであったのか。
果たして牛でありながらひとの顔を持ち、凶事を告げていたのかは定かではない。
一度、東京に住んでるひとに尋ねてみたが。
「牛? そんなの知らんし。なんかの見間違いだろ」
とあっさり言われてしまった。

 

 

 

 

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