百物語 四十七回目「サイコパス」

学生のころの話である。
周りのひとたちから聞いたところによると。
おれは常に不機嫌そうな顔をし、口を開けば冷笑を浮かべながら辛辣なことを言うひとで。
まあ、簡単に言えば実にいやなやつということなのだが。
そのおれが唯一楽しそうにすることがあった。
それはどうもひとを殴ることらしい。
実はおれ自身はよく覚えていなのだが。
おれに殴られたほうはよく覚えていて。
おれはこころの底から実に楽しそうにひとを殴っていたらしい。
「おい、この店だよ」
「なんすか?」
「ここでおれはお前に殴られたんだ」
「へえ、全然覚えてないっす」
「すげえ痛かったんだぞ」
「ふうん、災難でしたね」
「ふざけんな。おれのだちにおまえをボコボコにするように言っといたからな」
「おお、それはどうもっす。待ってますよぉ」
まあ、こんな感じで。
基本的にひととして必要なものがどこか欠落しているようなひとであった。

「や、ひとを殺してみたいと思わないか」
「何言ってんだよ。思うかよ。そんなことしても得るものはないじゃねえか」
「まあ、そうだけどさ。セックスだって得るものがある訳じゃあないだろう」
「いやいや。少なくとも気持ちいいだろ」
「や、そこなんだよ。もしかしたら気持ちいいかもしれないだろ」

殺人者の心理の研究者でもあるコリン・ウィルソンは、ロボットという概念を提示している。
ひとはなぜ、ひとを殺さないか。
そうしない理由をもちろん百ほどあげることも可能であるが。
ただひとはそもそもひとを殺すか殺さないかなどという判断を、することはない。
しないからしないというより。
ひとはそもそも基本的な動作はアプリオリに組み上げられており。
日常生活はその無反省でナイーブな状態で過ごしている。
その状態をコリン・ウィルソンはロボットと呼ぶ。
おれは、それをオートマティックと呼んでいた。
ひとは大体において思考したり、判断せずとも生きていくことができる。
オートマティックで組み上げられた部分でかなりのことが対応可能であるからだ。
サイコパスと呼ばれるシリアルキラーの一部のひとたちは。
そもそもそのようなロボットとしての部分。
オートマティックとして対応可能な部分が欠落しており。
殺さないという規制が存在していない。
だから選択肢に殺すというものが、入らない理由が無いのだ。

おれは。
まあ、ひととしてのあまりの欠落の多さにある日愕然とし。
プログラムのコードを。
つまりアルゴリスムを組み上げるようにオートマティックの部分を作り上げた。
その結果見た目はいいひとになったのかもしれないが。
それは、おれの組んだアルゴリスムにすぎず。
じゃあ本当のおれは。
というか、そもそも本当のおれなんているのかと。
思ったりするわけである。

 

 

 

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