あたし、ギターになっちゃった

あたしはまるで。
ふわふわとした、薔薇の花束の上でただよっているような気分から。
刃を突き付けられるような、鋭い現実へと戻った。
薄暗い場所だ。
天井は高く、広々としている。
あたしに馬乗りになったおとこは、にやにやと軽薄な笑みを浮かべたまま。
手にした大きなナイフをひらひら弄んでいる。
鉈をくの字にへしまげたようなそのナイフは、ククリナイフというやつだろう。
金属のブレードは、七色のハレーションをおこして八の字の軌跡を描く。
うーん。
意識がはっきりするにつれ、全身が苦痛を訴えはじめる。
ひどい。
さんざん殴られたようだ。
身体のこの感覚は多分、ドラッグを使われた感じ。
アンフェタミンじゃなくて。
MDMAだね、これは。
あたしの上に乗ってるおとこは、にやにや笑いながら言った。
「やあ、どうだい気分は」
あたしは、小声で呟く。
ふざけろ、くそやろう。
「なんだって?」
あたりをそっと、そして素早く見回す。
とりあえず、視界におさめたのは三人だ。
ギターみたいな楽器を抱えているやつが二人に。
ドラムセットの後ろにひとり。
バンドかよ。
そういえば、なんかライブハウスのようでもある。
というより、この広さだとレイヴに使うウェアハウスか。
あたしは、小声で呟き続ける。
ああ、うざい。
帰りたい。
「なんだよ、聞こえないよ」
あたしは、にっこりと微笑むと手招きをする。
ああ、馬鹿だねこいつ。
素直にあたしの前に耳を差し出した。
MDMAがまだ効いてると思ってるんだ。
あたしは、耳に噛みつく。
絶叫。
あたしは耳の後ろを殴られた。
思わず耳をはなす。
食い千切れなかった。
レクター博士みたいには、いかないわね。
あたしは、それでも口にたまった血を吐き捨てるとげらげら笑った。
バンドのメンバーたちも笑ってる。
笑ってないのは、あたしの上にいるククリナイフのおとこだけ。
顔の半分を血に染めたそいつは、口を歪めるとあたしの顔面を殴った。
金属の味がする苦痛があたしの顔を、紅く染める。
それでもあたしがくすくす笑っていると、ククリナイフが喉元に突きつけられた。
「なあ、殺していいか?」
あたしに対する問いではなく、仲間に聞いたらしい。
ギターを手にしたおとこが応える。
「殺したら面倒くさいじゃん」
ククリナイフのおとこは、薄く笑う。
オーバードーズであたまのいかれたおんながいっちまうなんて、よくあることだ。警察もいちいち真面目に調べんさ」
「殺すにしても、最後にやることだ。その前にすることがあるだろ」
ドラマーが、応える。
ククリナイフのおとこは、素直に頷いた。
「まあ、そうだな」
ククリナイフがあたしの胸にあてられる。
「ねぇ、脱ごうか?」
あたしは、ククリナイフのおとこに声をかける。
服を切り裂かれるのはいやだ。
「どうせ死ぬんだから、服のことは気にすんなよ。それにこのほうが興奮するんだ」
くそっ、変態め。
あたしの服は縦に裂かれ、下着も切られる。
剥き出しの胸に、血のついた顔を押し付けてきた。
あたしは、記憶をたどる。
確か、でかいワンボックスカーに後ろから跳ねられたんだ。
あたしはあたまにきてその車のバンパーに、蹴りをいれたら車から降りてきたこいつらに囲まれて車に無理矢理乗せられた。
あたしが暴れたら、ぼこぼこに殴られてなんか注射されて意識を失ったんだ。
やばい。
MDMAなんか、注射されたんだ。
なにか、むしょうに腹がたつ。
いいえ。
そうじゃあないかも。
熱い塊が、胸の奥底にうまれた。
怒りじゃなく、つまり感情なんかと違うもっと物理的な力を持った何かがうまれて。
出口を求めて暴れてる。
あたしは、その力を少し。
口元から漏らした。
突然、あたしのうえになって胸を吸ってたおとこが身をおこす。
不思議なものを見る目で、あたしを見た。
「おい、何をした」
そういうおとこの鼻と耳から血が垂れてくる。
バンドマンたちも、異様な気配を感じたのか、押し黙った。
あたしも、何があったのかよく判らない。
とにかく、あたしの中にあるハリケーンがあたしの身体の中をぐちゃぐちゃに震わしてる。
オーバードーズ
判んないけど。
あたしは口を開き声をあげた。
いいえ。
声にはならない、何か音の津波みたいなのが溢れる。
耳には聞こえない、純粋な力となった音がウェアハウスを満たしてゆく。
ギターとベースが共鳴して、悲鳴をあげる。
金属の咆哮をあげて、二つの楽器は弦を弾けさせた。
ドラムセットは、爆発したように破けてゆく。
おとこたちは何もできず、すくんでいた。
ただ、ククリナイフが首筋に押し付けられる。
「てめぇ、何をしたんだ」
あたしは、にいっと笑い。
おとこは逆上したのかククリナイフを振り上げ。
そして、銃声が全てを撃ちきった。
あたしの上になってたおとこは頭を撃ち抜かれ、脇に転がる。
ビジネススーツのおとこが入ってきた。
見覚えがある。
多分、前に付き合ってたおとこ。
手にDPRK製のタブルアクションオートマティックを持っていた。
あたしの元彼は残りのおとこたちを無造作に撃ち殺す。
最後に残ったギターのおとこは、震える声で言った。
「なんでだよ。おれたちは言われるままやっただけだろ」
元彼は冷静な口調で応える。
「殺してくれなんて言ってません」
「殺すなとも言ってない。好きにしろと」
銃声。
死体が四つ転がることになった。
そして、銃口は今あたしに向けられている。
少し混乱していた。
「あなたが、仕組んだことなの?」
元彼は、静かに応える。
「行き違いです。申し訳ない。とりあえず、行きましょうか」
「どこへ?」
「警察に邪魔されないところへ」

あたしは彼のツーシータのドイツ製スポーツカーに乗せられた。
「なんで、あんなことしたのよ」
「判りませんか?」
彼はあたしの問いに、平然と問い返す。
まあ、ふったからなのか。
「あたしが、あんたをふったから?」
「それはどうでもいいですよ。むしろ僕に感心を持ってくれなかったことが耐えがたかった」
ああそうか。
まあねえ。
便利なひとだったんだけどねぇ。
美味しいもの食べに連れてってくれるし、欲しいものは買ってくれるし。
望めば展望レストランでの豪華な食事も、ロマンチックなナイトクルーズも、一流ホテルですごす休日も用意してくれる。
ただねぇ。
便利なだけだったんだよね。
「僕は金の力であなたを好きなようにもて遊んだ。違いますか?」
まあ、そうなんだよね。
あたしはもう少し貧乏な恋人がいて、そのひとをすごく愛してたんだけど。
なんとなく、金の力に流されたっていうか。
でも恋人と別れてもこっちの彼とは結婚できないんだよね。
だってこの彼は奥さんと子供がいるし。
「あなたは、僕を憎むべきだ。違いますか」
あたしはこれには苦笑せざるおえない。
「なんで、このあたしほどのおんながさ。あんたごときを憎まないといけないのよ。あんたって金はあってもただのカスじゃん」
「だから」
彼は授業をする教師の口調で言った。
「憎まれるようにしたんです。一体あなたが僕を憎んでくれなければ、どうすればいいというんです」
いや、知らんし。
というか、なんかそれどころじゃない。
あたしは、自分の身体に異変を感じていた。
さっきの熱い塊は消えておらず。
なんか判ってきたようにも思う。
これ、この感じ。
あたしの中にコードがある。
出口を探してるコードが。
遠くにパトカーのサイレンが聞こえる。
近づいていた。
でもやんないと。
「車を止めて」
彼はちらりとあたしを見て少し戸惑う。
まあ、無理もない。
今止めりゃあ、パトカーに囲まれる。
けど、必要。
「止めなさい、憎んであげるから」
本気にしたとは思えないけど、路肩に寄せて車を止めた。
あたしは彼に指を付きつけて。
それをこいこい、と曲げる。
「抱きなさいよ」
彼はまた躊躇う。
ああもう、面倒くさい。
「いちいち考えずに抱け、このカス」
彼は、あたしを抱きしめた。
きた。
きた、きた。
これよ、この感じ。
東京湾ゴジラ上陸という感じ。
世界を根こそぎ破壊しつくせるような、凶悪なコードがあたしの中で悲鳴をあげている。
ああ、これはそう。
昔、パンクバンドが力任せにジーザス&メアリーチェーンのアップサイドダウンをカバーした時に感じた感覚。
音が百の獣たちの咆哮となってシンクロして破壊して満ち溢れていくのよ。
そう。
そう、そう。
あたし、ギターになっちゃった。
見えないプラグに接続して、車をアンプに変える。
高速で回転する金属を打ち合わせたような絶叫が響き、ドイツ車のスピーカーが爆発して弾けとんだ。
あたは、笑って、笑った。
それ以外、何ができるのさ。
パトカーがいつの間にか前後に止まって挟まれてる。
あたしは、そのパトカーにプラグインした。
ランプが、紅い血飛沫をあげるように砕ける。
もっとだ、もっと。
あたしの中のコードは荒れ狂い、生け贄を求めて慟哭する。
エンジンにプラグインした。
爆炎があがり、パトカーのボンネットが跳あがる。
見えない音が、聞こえないコードが世界にシンクロして、極彩色の破壊を撒き散らす。
ギターよ、あたしはギター。
そして世界がアンプ。
あたしのコードで世界が鳴き叫ぶ。
「じゃあ、行こうか」
あたしの言葉に彼は怪訝な顔をする。
「どこへ、行くんですか」
あじゃまくさい。
海だ。
海。
とりあえず、海辺で叫ぶよ。

あたしは、彼をアンプにして。
漆黒の夜空が藍色に変わり、サファイアの輝きを得るまでの間遊び続けた。
彼は何度も悲鳴をあげのたうったけど、彼と一緒にいた日々の中では一番楽しかったのよね。
この日が。
東の空が金色から青に変わった頃、あたしはようやく飽きて失神した彼を残してドイツ車に乗った。
ジーザス&メアリーチェーンのサイドウォーキンを鼻歌で歌いながら。

 

 

 

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