百物語 五回目「亡くなったひとと会う」

それはやはり10年近く前の話となる。

あれは母親が死んでから一年くらいがたった時期であり。
母親が入院していたころは地元に戻っていたが、母親が死んでまもなく都心へと戻ることになった。
その当時、仕事していた場所は本当にこの島国の中心地に近い場所だったのだが。
不思議なことに、高層ビルが立ち並ぶような街であっても、大きな国道を渡ったこちら側は別世界のようであったりする。
古い商店街があったりアパートがあったり昔ながらの蕎麦屋とか寿司屋が並んでいたり。
小さなスーパーがあり学校がありそれなりに生活する場所となっていた。
おれは、国道の向こう側にある高層ビル群を見上げながら五階建ての小さなオフィスビルで仕事をしていた。
そのビルの向かい側には小学校があり、昼間窓を開けていると子供たちの歓声や学校放送が聞こえてきたりする。
それは春の終わりで夏の始まる前くらいであったように思う。
よく雨が降っていた。
雨は銀灰色に世界を塗りつぶし、音と色を奪い取り。
気がつくと、水の中に閉じ込められているような気分になる。
当時はとても忙しく、まあ、今も貧乏暇無し的に忙しくはあるけれども。
そのころは毎日、仕事場に泊まり込んでいるような有様だった。
日中は、会議と会議のための会議と会議のための会議のための会議が繰りかえされ、そのための資料づくりに終われており。
深夜の零時を回ったくらいから、ようやく本来の仕事ができる状態だった。
明け方までひとりだけでオフィスで仕事をして。
夜明け前、5時ごろから始業の8時くらいまで仮眠をとる。
そんな生活だった。
小さなオフィスであったが一応、応接室が存在していて、そこにはソファが置かれているので仮眠をとるにはちょうどいい場所であった。
その日もいつものように、明け方まで仕事を続けていた。
すでに疲れとかそういう感覚は麻痺してしまっており。
何かゼリー状の皮膜で被われているような感覚で。
現実から少し遠ざけられているような。
脳の一部が既に壊死して、感覚が少々欠落してしのったような。
そう、そのころちょうど降り続いていた銀灰色の雨に包まれているような。
そんな感覚であった。
おれは霊感は皆無であったため何も感じなかったのだが。
霊感が鋭いひとからするとそのオフィスには、何かいる気配があったらしい。
よく判らないが、そのあたりは古い街であったし、近くに神社や寺もあったので。
遠い昔には、何かあった場所なのかもしれないが、どちらかといえばそういう話は鼻で笑って済ますほうだったから。
そんな場所に寝泊まりしても、なんとも思っていなかった。
おれはソファに横たわったが。
神経がささくれだっており真っ当な眠りが訪れることもなく。
頭の中になぜか轟音が鳴り響いており、不思議とそれが外の雨音にシンクロしているような。
そんな状態でゆらゆらと影たちが舞っているような薄闇に横たわっていたのだが。
眠りと覚醒の隘路を漂っているうちに。
ふと、誰かが足元に立っているのに気がついた。
その顔ははっきり見えず、おそらく全裸のおんなのようであったのだが。
年齢も不詳なそのひとかげが、おれはなぜか自分の母親であると確信することになる。
それは、なんの理由もなくただ確信としておれのこころに差し込まれたものであって。
見た目が似ていたとかそういうことは全くなかった。
おれは身動きをとることもできず、何もすることもできないまま。
何も言わないそのひとかげを見ていたのだが。
突然そのひとかげは高速で振動し始める。
それはもう。
何ものでもなく、立ち上がった異質なものとであるとしかいいようがなくなり。
振動とともに、轟音のようなノイズが外の雨音とシンクロしながら部屋とこころを満たしてゆき。
まるでおれを圧殺するかのような圧力でもって部屋全体に溢れていった。
その得体のしれぬ何ものかから逃れようとして、動こうとしたが。\dそれも叶わず、ただ夢中で絶叫をあげたその時に。
ようやく目が覚めた。
おれは無意識のうちに死んだ母親にもう一度会いたいとでも思っていたのだろうかとか。
それでも、死者と再び会うということがどいうことかは、判っていたというか。
そんな言いようない喪失感とともに覚醒してゆき。
また、うんざりするような一日に戻ってゆくことになった。

 

 

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