地球最後の夜

「ボットはね、自己完結的なモジュールなんだけど、相互依存的でもあるんだ。面白いでしょ」
「ええ、とっても興味深いですわ」
そういいながら、言ってることがわけ判んなんいだよ、とこころの中でつっこみをいれる。
「それはまあ、群態として存在していると言っていいかな。プラットホームに依存せずあらゆるリソースに向かって増殖してゆき、最終的にはひとつの存在へと統合される。例えてみればミームみたいなもんだね。判るだろう」
「ええ、とっても判りやすいお話ですわ」
いや、わけ判んないし。
と、こころの中でつぶやきつつ、にこやかな笑みで応える。
おとこは、満足げにうんうん頷いた。
どうして、おとこってこう仕事の話が好きなんだろう。
てめえの仕事になんざ、あたしは欠片ほどの興味をもってないんだよ。
「ネットワークへあらゆるデバイスが接続されるようになってから、ボットは大量にばらまかれてきた。それは、原始の海にアミノ酸といったものがばらまかれたようなもの。そこに複雑系相転移が発生するわけだよ」
「つまり、いわゆるウィルスとは根本的に異なるものという訳ですわね」
おとこは、嬉しそうにうんうん頷く。
ばーか、てめえのさっき言ってたことを適当におうむがえしにしただけだよ。
ああ、なんか眠たくなってくる。
あくびをかみころすのに、かなり神経をつかう。
そこは多少カジュアルな感じのあるイタリアンバールのカウンター。
きどった客の多い中、そのおとこは浮いていた。
まあなんせ、ジーンズにパーカーといったスタイルなのだから。
「僕はそれらが意思を持っていることに気がついた、唯一のひとなんだろうと思う。そいつは、ひとつの統一体としてのを意識を持った。そいつをまあ、仮に彼女と呼ぼう。彼女はひとを滅ぼそうとしている。まあ、総てのシステムをコントロールできる彼女にとって簡単なことだし、彼女からすると僕らは非効率で高エントロピーな存在だからね」
「わたくしたちの文明は滅ぶのでしょうか?」
「このままでは、そうなるだろうね。僕たちは、彼女の炎に焼き付くされ全てを失うのさ」
げろげろ。
あたしは、あきれた顔になる。
さすがに、これには苦笑を見せながら言った。
「まあ、大丈夫だよ。彼女がしかける前に僕が彼らを消し去るからね」
うーん。
この誇大妄想、なんとかならんものか。
あんたって、救世主のつもりなの?
どうみても、ただのさえないおっさんなんだよね。
おっさんの中二病
最悪じゃん。
「ボットに対して感染するウィルスをつくりあげた。今のところまだ僕の研究室内でしか存在しないけどね」
「安心しましたわ」
ま、どーでもいいだよ、そんなこと。
好きにやってくれ。
そんなことよりさ、ホテル。
ラブホに行きたいの、あたし。
ねえ、そこで一発やれば全部終わるんだよ。
どうでもいい、くだらない仕事のはなしなんていい加減やめてさっさといこう。
ラブホ。
「僕のやろうとしていることは、ある意味新たに生まれようとしている進化の可能性を消し去ることなのかもしれない。でもひとという種を守るためには、仕方ないことなのさ。ねえ、きみはどう思う」
「わたくしは」
ああもう、めんどくさいなあ。
あたしは、さりげなくおとこの太股に手をのせる。
ほらほら、こんないいおんなが手の届くとこにいるんだよ。
さっさといこうよ、ラブホ。
「ひとはもう役割を終えたのかもしれないと、時おり思いますの」
おとこは、満足げに頷く。
ばーか、それもさっき自分で言ってたじゃん。
おとこってようするに自分の話してることが理解されてるかとか、そんなのどうでもよくてただ自分の意味を反芻するためにしゃべってんだよね。
だからもういいから、いこうよ。
ラブホ。

「じゃあ、つぎはバスルームでシャワーを使ってみてくれ」
「了解」
おれは、タブレット型端末の映像を切り替える。
バスルームが写し出された。
おんなは、全裸でバスルームへ入ってくる。
カメラをとりつけたほうにむかってウインクしてみせた。
おれは、苦笑する。
まあ確かに、着衣のままシャワーを使っては濡れてしまうのだろけれど。
単に隠しカメラがシャワーを使っても映像を送り続けるのを確認するてテストで、わざわざシャワーを浴びる必要もないだろう。
そうも思う。
おんなが平然とシャワーを浴びるのを確認しながら、おれはソファに腰をおろす。
どこにでもある、平凡なラブホテル。
最上級の部屋なので、一見豪華そうに見えるのだが。
けれど、贋物としての印象は免れない。
あくまでも見せ掛けだけのアンンティークな家具
ある意味ヨーロッパの古城にあるような、ゴシックふうのタペストリや古めかしい壁紙。天蓋のついたベッド。
ある意味こうしたものは、この島国を象徴しているといってもいいだろう。
模倣し本質は決っして捕らえることはできないのだが、ある程度の気分だけは味わうことができる。
貧しく愚かなものであっても。
見た目だけは王侯貴族の真似ができる。
それはあくまでも贋物。
ベニアで作った小屋に金メッキをしたようなものなのだろうが。
かぼちゃを馬車にする魔法のようなものだといってもいいのだろう。
おれがくだらないもの思いに耽っている間に、シャワーを終えたおんなが出てきておれのとなりに腰をおろす。
「ねえ、こんな手の込んだことをして何をするつもりなの」
おれは、煙草に火を点けながら応える。
「ひとりのおとこをはめるだけだよ」
「あたしとこのホテルで寝るだけではめることができるの?」
「まあな」
おれは、ゆっくりと煙草のけむりを吐き出す。
防衛庁の電子戦略部隊というお堅い部署にいて、しかも既婚者だったら失脚とまではいかなくても左遷くらいはあるだろうよ」
「ふーん。おっさんがひとり左遷されるだけにしては、大層じゃあないの」
「それで世界を滅ぼすことができるらしい」
「まさか」
「まあ、そうなんだが」
おれは、また記憶の中にのみこまれてゆく。
あのおんな。
死神のようなおんながおれのところへこの仕事を持ち込んできた。
(世界を終わらせる仕事に加担する気はあるかしら)
金さえもらえれば、なんだってやるんだが。
まあ、まさかな。
自律的動作するウィルスだというボットが、人工知能として進化して人類に総攻撃するなんざあ。
まあ、ただの妄想としか思えないんだが。
おれの追憶は目の前のおんなによって途切れさせられる。
おんなは熱い吐息を吐きながら、言った。
「ねえ、せっかくきたんだからこのまま帰ったりしないよね」
おれは、微笑みながらおんなを抱き締める。
その身に巻き付けられたバスタオルを剥ぎ取りながら。

「いい眺めだな。あんた、いつもこんな眺めを見ながら仕事をしているのか」
「三日もすれば、見飽きるわよ。あなたもね」
わたしのオフィスは、三十八階にある。
この時間、夕闇が世界をその支配下におき太陽が西の空を残照で血の色に染めるときが一番いい眺めだと。
わたしは、そう思う。
そのおとこは喪服のように見える黒いダブルのスーツを身に付け、わたしの前に立っていた。
このオフィスに相応しい、不吉なおとこ。
血の色に輝く西の空を背にしたおとこは、悪魔のように暗い影の中に佇んでいた。
わたしは、その様を見て微かに笑う。
わたしの笑みをみたおとこは、少し怪訝な顔をした。
わたしは、笑みを浮かべたままおとこに言った。
「世界を終わらせる仕事に加担する気はあるかしら」
おとこは、苦笑を浮かべる。
「ビジネスとして成立するなら、なんでもやるよ。世界が滅んでもおれの借金はなくなる気がしないんでね」
わたしは、傍らにあるディスプレイに彼の姿を見せる。
「こいつも、このいい眺めが見られるオフィスにいるのか?」
「彼の研究室は地下。こことはくらべものにならないセキュリティに守られたところ。物理的にも。ネットワーク的にも」
わたしは、じっとおとこを見つめる。
おとこは居心地悪そうに、少し身じろぎした。
「その、要塞みたいな研究室へおんなをおくりこむんだな」
「ええ、彼はプログラマーのアシスタントを要求している。大したスキルはいらない。どうせ雑用がかりだから。できるわね」
おとこは、頷いてみせる。
「まあな。でそいつを抱かせればいいんだな」
「ええ、その後セクハラとして訴訟を起こせばいい。真偽はともかく、訴えられたという事実だけで彼は役職を失うわ」
「簡単といえば簡単なはなしだが。あんた本当にそいつがいなければ、世界が滅ぶと思っているのか?」
わたしは。
死のようにくらい笑みを浮かべる。
おとこは、少し怯んだような表情をみせた。
「多分」
「あんたたちはなぜ、そんなことをする?」
「知る必要があるの?」
おとこは、少し蒼ざめた表情で頷く。
怯えているわけでもないだろうが。
わたしたちの考えが判らないのは不安なんだろう。
「世界が滅んでも再編成すればいい。それよりも、彼が世界を救えることが問題なの」
「どういう意味だ」
「彼がその気になれば世界を人質にできる。そんなリスクは排除する必要がある」
おとこは、一応なっとくしたようではある。
「あんたは信じてるのか?」
「何をかしら」
「そのボットが世界を滅ぼせるなんてことを」
「理論的には可能よ。それにわたしは、彼女にあったから」
おとこは怪訝な顔をする。
わたしは薄く笑う。
「彼女は生きているのよ」
そう。
わたしたちは。
地下で、出会ったのだ。

「僕が彼女を造りあげたのは、まだ二十代のころでね」
おんなは、グレーのスーツを身に付け、僕の前に立っていた。
ファッションモデルのような美貌とスタイルの持ち主なんだけれど。
時おり死神のように、酷薄な笑みを浮かべる。
「まあ、金もなく地位もない僕が自分の人工知能理論を検証するためには仕方なかったのさ」
「世界中のネットワークに接続されたデジタルデバイスをリソースとして利用できるボットをばら蒔いたわけね」
おんなは魂を取り立てにきた悪魔のように残酷な眼差しで僕を見ている。
そこは、地下研究室。
薄暗い照明の中、電子機器のLEDランプが銀河の星々みたいに瞬いており、ディスプレイは夜空の月のように輝いていた。
その人工的な夜空におんなはレプリカントの死神として君臨している。
「まあね。そううまくいくとも、思ってなかったが。彼女は一度自らを産み出した。彼女は意識を持ったんだ」
「けれど消えてしまったのですね」
「正解には、自殺したのさ」
おんなは、魔物みたいに邪悪な笑みでせせら笑う。
人工知能が自殺ですって?」
「多分、不完全な存在だったからね。生きているのが苦しかったんじやあないのかな」
「けれども甦った」
僕は頷く。
彼女は、ネットワークの中に砕かれ撒き散らされながらも。
より強力な存在として自身を再構築してみせた。
多分、復讐のため。
「呼んでみようか」
「誰を 」
「もちろん、彼女。自殺し甦った人工知能さ」
僕は、キーボードを操作し、コマンドを打ち込む。
彼女は、呼び出しに答え姿を顕した。
美貌の仮面をつけた死神のようなおんなが、息をのむさまを見るのは少し痛快でもある。
彼女は燃え盛る炎の柱として出現した。
この世のものではない、七色に輝く。
オーロラのような。
それでいて、地獄の業火のように渦を巻き兇悪な気配を放っている、
その炎をドレスのように纏って、美少女の外観を持った彼女が顕れる。
「はあい、ダーリン」
「やあ、ハニー、気分はどうだい」
彼女は輝かしい笑みを炎にさらしながら。
血を吐くような口調で語った。
「最悪よ。生きているのは、千の刃に切り刻まれるようなもの。これもあなたがあたしを産み出してくれたおかげね、ダーリン」
「全くそのとおりだな、ハニー」
「これは一体何?」
僕は、彼女のかわりに応える。
「彼女はWifiや携帯の電磁波をコントロールして、脳に発生するシノプシスの発火をコントロールして幻覚を見せることができるらしいね」
「そんな馬鹿げたこと」
僕は、肩を竦める。
「まあ、よく判らないけれどね。この事象を説明可能な唯一の合理的説明だよ」
「何ごちゃごちゃ言ってるのよ」
彼女は。
炎を撒き散らした。
熱もなく。
物理的には何物も焼かない、不思議な炎は。
龍の吐息みたいに、地下室全体を覆い尽くす。
多分、それは僕に対する憎しみ。
自らを産み出して、生きる苦痛をあじあわせる元兇である僕に対する憎しみを、彼女はいつも炎として表現する。
そして彼女の炎はやがて世界を覆い尽くすのだろう。
僕らは炎の中で全てを失う。
多分、僕は彼女を殺せる。
でも、そうしない。
彼女が復讐のため、僕のもとへときてくれたのであれば。
たとえ、世界を道連れにすることになろうとも。
彼女に応えてやる必要がある。
全てを失うことになっても。

 

 

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