百物語 七回目「土地の精霊に嫌われる」

まだ、おれが学生時代のことである。

当時、おれはI市の隣の市に住んでいた。
I市には、絵の師匠が住んでいて、おれは絵の師匠の元へ定期的に通っていた。
まあ、今もそうなのだけれども当時は土地には土地の精霊が存在しており。
その土地を訪れると、その精霊の息遣いのようなものを感じることができると思っていた。
今では、そんな感覚は大分薄れてきたのだが。
当時は今以上に、そういう感覚を強く感じていた。
土地に踏み込むと。
そこの精霊に愛されていなければ。
どこかいたたまれぬような。
すこしこころがざわめく感じとなり。
早々に立ち去ることになる。
I市は昔の文豪が青春を過ごした街でもあり。
まあ、普通のベッドタウンのようで、どことなく端正な佇まいもあって。
今以上にでたらめなひとであったおれからしてみると、そりが合わないというのがあったのかもしれない。
そんな感じではあったものの。
当時は絵を描くことに夢中であったため、師匠に絵を見てもらって色々アドバイスを受けたり色んな話をするのが実に楽しかったのだが。
結局師匠からは。
「君は、実にいい仕事をするんだが。いかんせん、絵を描くようなタマではないな」
といわれてしまい。
気がつくと絵の道からどんどんそれてゆき。
そのまま、人生ぐだぐだになって行くのであるが。
それはまた別の話であって。
当時は、自分を拒絶していると感じる土地へ、なぜか楽しく通っていたものだ。
あれから随分たってI市をもう一度見直してみると。
おれは当時、多分I市の街しか見ていなかったように思う。
I市は街だけではなく、むしろその半分近くが山深い土地であり。
山の中に入っていくと思った以上に、そこはくらい念がこもっている気がして。
例えば、隠れキリシタンの里らしきものがあったり。
都市伝説ではあるが、事故をおこしてひとをひき殺した市電を鎮魂のため祭っている神社があるともいわれ。
何かくらい情念のようなものが山の中に渦巻いており。
街はその情念を拒否するような結界めいたものを持っていたのかもしれず。
むしろおれはそのくらい情念と魂が呼応していたがゆえに、結界に拒絶されていたのかもなどということを思ったりもする。
まあ、そんなことは当時は全く知らなかった。
その日、いたたまれぬ気持ちをかかえまま、おれは自分の住む町へ夜道を歩いていた。
電車の駅を降りて、駅から少しいったところの橋を渡ると。
拒絶されている感覚はなくなる。
橋のこちら側には、おれの住む町の神社もあり。
いうなれば、そのあたりからが別の精霊が支配する地になるのかと思ったものだが。
その日、おれはくらい夜道を歩きながら、こころに直接語りかけてくる声を聞いた。
「おまえの人生の唯一安寧のときが今だ。大切にするがいい、この時を」
それは。
全くそのとおりとなるような人生をおれは歩んでいくことになり、まさに正鵠を得た予言だったのだが。
もしかすると、それは土地の精霊が与えた忠告だったのかもしれないし。
あるいは、未来のおれが過去に向けて語った言葉が降りてきたのかもしれない。
そんなふうにも思う。
若き日の思い出である。

 

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村