百物語 九回目「公園で蛇を見る」

それは、まだ、小学校へいく前のことである。
まだ大阪の北の端へは行っておらず、そこから淀川を渡った向かい側、淀川の南側にある街に住んでいたころのことだ。

おれの一番古い記憶。
おそらく3才くらいの頃のできごとである。
当時、世界は何やらふわふわとした色と音が雑然と溢れている場所であった。
今の自分の言葉を使えば、それはノイズに満ちているということになる。
カレイドスコープを覗くように。
色々な色彩やざわざわとした音たちが、目にも彩な文様を描き出しているのだが。
それに意味を見出すことができず、ただただそれら流れてゆく色と音に浸っていたのだけれど。
その時だけ。
かちりと。
何かがはまったように。
ひとの声と、景色と目の前にあるものを見分けることができるようになり。
自分自身の身体をも認識できるようになった。
それは、ノイズの洪水が突然形をもったような感じで。
おれは庭でままごとをしていることを認識した。
それはでも、暫くするとまたノイズの中へと埋もれてゆき。
幼い日のおれはノイズと、形を持った世界の間をいったりきたりしていた。
未だに思うのであるが。
世界の本性とはノイズであるのか、形象を持っているのかは。
定かではないような気がしていて。
世界が形象を持っているというよりは、おれたちの脳が生み出す幻影の中に世界の形象が存在しているだけで。
まあ、ようするにおれたちが見ている世界そのものはノイズの洪水なのではないかなと。
そうも思う。
幼児のころおれの中には世界の形象を生み出す仕組みがちゃんとできあがっていなかったようなので。
ぼんやりした子供だった。
だから、当時の記憶は酷く断片的である。
幼稚園に通っていたらしいのだが。
よくかってに帰ってしまったらしい。
おれの中には、幼稚園に向かった記憶はあるが。
気がつくと家の中にいるといった感じで。
時折、ノイズに飲み込まれてしまうと、恣意的な行動をしていたようなのだけれども。
その間の記憶は残っていなかった。
まあ、困ったこどもだったようである。

その日は。
どんよりとした曇りそらの朝であったように思う。
おそらく秋のはじめくらいの時期だったと思うのだが。
はっきりとはしない。
おれは幼稚園にいくバスをひとりで待っていた。
ひとりきりでバスを待っているということ自体がもう既に何かおかしいのだけれど。
記憶ではそうなっている。
バスのくる場所は、公園の片隅であった。
道路に面した公園のその箇所は鬱蒼と木の立ち並ぶ林であり。
世界はどこか薄暗く。
何か全てが不安定で、ひとは誰もいなかったようなのだが本当にいなかったか認識できていなかったかは定かではない。
そのとき。
またかちりと何かがはまる感触があり。
おれは、林の中の暗闇に。
蛇を見た。
世界は、ざわざわとしたノイズに飲み込まれそうになっていたが。
その渦を巻く闇の中で、蛇のいるところだけはくっきりとしており。
蛇はそのくらい瞳で、おれをじっと見ていた。
その姿は優雅で美しく、そして戦慄的であったのをよく覚えている。
まるで絵に描いた蛇のように、綺麗なとぐろを巻いていて。
クエスチョンマークのような形に伸ばした首の先に。
黒曜石みたいに輝く瞳がのっており。
紅葉のように赤い舌がちろちろと踊っていた。
おれはその蛇に魅入られ、全てを忘れた。
世界はまたざわざわとしたノイズとなっており。
カレイドスコープを覗き込んだような色彩の洪水と。
巨大な滝が流れてゆくような轟音が響いており。
その中で蛇だけがリアルに見えて。
蛇はおれに呼びかけていた。<
こちらへ。
おいでと。
要するにそれは、形象の世界からノイズの世界へ招かれていたのだろうけれど。
結局例によっておれの記憶はそこで途切れ。
おれは暫く幼稚園に通うのをやめることになる。
おれが幼稚園に通い出すのはずっとのち。
大阪の北の端へ引っ越してからのことになる。

 

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