百物語 十三回目「待合室」

僕は気がつくと、その薄暗い部屋にいた。
その部屋に湛えられた闇の濃さ、そして空気の重さはそこが地下であるかのように思わせる。
湿った空気、音の無い沈黙、身体を蝕むような冷気。
そうしたものは、ひとつの予兆を指し示しているようだ。
僕は、少しづつ目がなれてきたため、あたりを見回す。
僕以外にも、何人ものひとがいた。
思ったよりも長いベンチである。
そこにずらりとひとびとが腰掛けて並んでいた。
僕の両側と、向かい側にもベンチがありそこにも同じようにひとびとが並んでいる。
そのひとたちはまるで、影でつくられたかのように闇に包まれており、気配を感じさせず石のような沈黙に沈んでいた。
低い天井に吊るされた、赤いランプが小さな灯りを燈している。
そのランプは洞窟のような部屋を照らしきることはできないのだけれど、僕の前に座るひとの姿は赤く浮かびあがらせていた。
そのひとは。
おんなのひとだ。
若くも無く、年寄りでもなく。
辛うじておんなのひとと判る程度に体格を見て取ることができる。
僕は、おんなのひとにそっと尋ねた。
「あのう」
おんなのひとは、何か不思議がるような目で僕を見る。
何も応えず、冷笑のような形に唇を歪めたまま、僕を見ていた。
「えっと、変なことを訊くようですが」
おんなは、少し片方の眉をあげた。
どこか皮肉な光を瞳に宿す。
「ここ、どこなんでしょうか?」
おんなのひとは何も言わないまま、眼差しで自分の背後を示す。
僕は、そこが壁ではなく窓であることに気がついた。
そう気がついたとたん、ただの闇であった窓の向こうにぼんやりと景色が浮かび上がってくる。
そこは電車のプラットホームのようだ。
僕は気がつく。
なるほどここは、待合室なのか。
僕は、おんなのひとに目礼して声に出さずに感謝を示す。
おんなのひとは無関心のベールをその顔に降ろし、表情を影に沈めた。
外がプラットホームであると判ったとたんに、音が聞こえ始めた。
遠い鼓動のような。
確かな律動と、厳かな振動、そして残酷な轟音。
電車が近づいている。
あまり待つこともなく、漆黒の列車がホームに入ってきた。
巨獣のような黒い姿をホームに横たえた列車に向かって、待合室に座っていたひとたちは立ち上がり動き始める。
それはあたかも葬列に加わるひとたちのように。
沈黙を纏ったまま、影に包まれたまま、喜びも悲しみも一切の表情を現さずひとびとは列車に飲み込まれてゆく。
屠殺場に向かう獣みたいに、項垂れゆるゆるとした動きで。
やがて僕の前のおんなが立ち。
影に覆われた顔の中から三日月みたいに白く光る瞳がちらりと僕を見る。
馬鹿にするような。
軽蔑するような。
そして、不思議なものを見るような色を湛えて。
おんなは僕を見た。
そのとき僕はいいようのない焦燥感と不安にかられて、ひとびとと違う方向へ、列車のある場所とは反対の方向へ向かって歩き出す。
だんだん足が速まってゆき、しまいには駆け足に近くなりながら僕は歩いていった。
気がつくと僕は階段を駆け上ってゆく。
そして、外に出た。
青灰色の空が広がり、鼠色の建物が縦並ぶ、閑散とした土地に僕は立っている。
気がつくと、目の前にあのおんながいた。
待合室で僕の前に座っていたおんな。
おんなは、冷笑のような形に唇を歪めると僕に語りかける。
「そう、あれがどこに向かう列車なのか気がついたようね」
僕は首を振ったが、おんなは気にせず言葉を重ねてゆく。
「まあ、乗らなかったところで関係ないのだけれどね。結果は似たようなもの。ごらんなさい」
おんなは僕の足を指し示し、くすくす笑った。
「ほうら、下から消え始めているじゃない」
僕は、自分の足元を見て、そこから消え始めていることに気がついた。
ああなるほど、死ぬというのはこういうことなんだ、と僕はぼんやり思う。

おれはそこで目を覚ます。
ああ、夢かと思いつつ。
ああでも結局俺は。
夢と同じように死を待つ待合室にいるんだろうなと。
そんなことを眠りと覚醒のはざまでぼんやりと思った。

 

 

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