百物語 三十一回目「くねくね」

それは、夏の日のことでした。
盛夏とでもいうべき、燃え盛る業火のような太陽が地上を蹂躙していた日。
まだ学生だったわたしは、なぜかその容赦のない日差しの元で、絵を描いていました。
そこは滋賀県の湖西だったと思います。
見渡す限り、ずっと田園地帯で。
水の上に緑の絨毯を敷き詰めたように、田んぼが景色を埋め尽くしていました。
凶悪に黄金色に輝く太陽は、田の水を仮借ない光で照らしつづけ。
わたしはその眩暈を伴うような強い日差しの中で。
緑の風景を、描いていました。
灼熱の夢のような。
その景色は、熱が水を焦がすように照射し続けられることにより。
透明の陽炎がゆらゆらと立ち昇り。
時折、その中に。
くねくねとした。
光の妖しのようなものが。
そこかしこに。
立ち昇ってゆくような気がしたものでした。

くねくねはやはり2チャンネルで語られた都市伝説のひとつである。
しかし、それは都市部よりむしろ。
地方の、田園地帯で起こったできごとを語るものであったように思う。
日差しの照りつける田園地帯で。
強烈な光の生む幻のようなひとが。
もの凄い勢いで、くねくねと身を捩らせるのを見る。
それだけのことなのだが。
それを見るのは主に子供であり。
おとなたちにそれが何かを尋ねるのだが、おとながそれに答えることはなく。
ただ、それを見ないように警告するばかりである。
その警告を無視して、くねくねを見続けたものは。
言葉を失い、喋ることを忘れ。
ただ、ものいわぬ茫洋としたひとになってしまうという。
不思議な怪異である。
くねくねはひとの精気を吸い取ってしまうがゆえに、それを見た子供は言葉を失うとされていたが。
おれはむしろ。
脳の中に何か齟齬がおきて。
違う世界へと脳内で繋がってしまったがゆえに。
子供はくねくねを見るのではないかと、そんなふうに思った。
くねくねは原因ではなく、何かの予兆に過ぎないのではと思う。
くねくねを見ることによって子供は意識を別の世界へ置き去りにしてしまい。
この世に残ったのは、抜け殻となった肉体ばかりとなると。
そう、思った。

わたしは、その千の刃が地上に降り注ぐような真夏の日差しの元で。
透明な陽炎たちに混じって。
光の螺旋が何重にも組み合わさり。
そこかしこで。
何かがくねくねと身を捩らせているのを感じたのでした。
わたしは、そのとき世界が捩れ、暑さの中で別のものへと様変わりしてゆくような気もしたのですが。
ただ、ひたすらに。
絵筆を走らせつづけ。
目の前の風景を描き留めようとする意志において。
この世界に留まりつづけたのだと。
そんなふうに思ったのです。

 

 

 

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