百物語 四十二回目「仮面」

学生時代の話。
嘘をつくのが好きな友人がいた。
彼は、嘘をついているときにはとても楽しそうにしていた。
だから。
嘘をついているときには、すぐに判る。
彼は、言葉を操り。
束の間の仮想現実の中で、僅かばかりの享楽を得る。
反対に。
真実を語るときには、とても静かで感情を失ったような平板な口調になった。
彼は、時折耐え難い現実と向き合う。
その時もまた。
彼は言葉とともにある。
彼はおれたちと共に絵を描いていたが。
やがて、演劇の世界へと入り込んでいった。
虚構を演じ。
演じることを現実とする。
おそらくそれが彼の選択であったのだろう。
彼が描いた絵をひとつ覚えている。
ある人物の肖像画だ。
彼はその絵について、こう語った。
「これはあるひとの、あるときの表情を描いた絵」
それがどのようなときであるのかを知るのはずっと後の話になるのだが。
そのとき彼は、感情を封じた平板な口調で語り、まるで仮面をつけているようで。
その肖像画のひとも、仮面のようであった。

仮面は。
それをつけるものを変容させる力がある。
始原の世界において、それは神となり変わるためのものであった。
例えば。
バリ島のチャロンアラン祭では、魔女ランダと聖獣バロンの仮面をつけて。
この世の始まりの前からある、あの聖なるカオスと。
この世を構築するノモスとの無限に繰り返される戦いを。
仮面をつけた演者が演じてみせる。
仮面には。
ひとを魔物に変え。
ひとを聖なる獣に変え。
そう、神や悪魔へと変化させる力が宿っていると信じられ。
それらは儀礼小屋に封印され、祝祭の、全てが解き放たれ、混沌から世界が再構築されるその瞬間まで厳重に保管されており。
選ばれたものだけがそれを身に着けることを許される。
仮面には。
創世の力が、混沌の力が、宿っており。
それがひとを変容させる。

彼は。
仮面をつけて、現実と向き合い。
仮面を外して、夢想に遊んだのだろうか。
そして、再び仮面を纏い。
それを現実とすることを望んだのだろうか。
おれには正直、よく判らないが。
耐え難い無残な現実を生き延びるには。
仮面が必要なときもあると。
そんなふうに思う。

 

 

 

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