百物語 四十一回目「ローゼンクロイツ」

学生時代のころ。
ヨーロッパで荷物を財布ごと盗まれて文無しになったやつが。
なぜかロシアを横断してこの島国まで帰ってくることができて。
どうもそいつは、秘密結社であるローゼンクロイツに加入しているという噂があり。
哲学科の学生なのに教授からは相手にされていなかったらしいが。
さすがローゼンクロイツすげぇ、とおれたちは皆そいつを尊敬することになった。

それはさておいて。

学生時代、サークルで毎日新聞京都支局ホールでグループ展をやったことがある。
文化財として指定されたとても歴史的に貴重な建物であり、古き時代の匂いを感じさせる風格のある建物であったが。
そこにおれの友人は二トントラックに積んで持ってきた、百個くらいの一斗缶をホールへ持ち込むと。
それをホール全体に積み上げ並べ、その上に蝋燭をのせ、百本近い蝋燭に日を灯すということをやった。
銀色に輝く一斗缶の上に紅い焔が揺らめき、ホール全体が何かの儀式を執り行う儀礼小屋となったように見えた。
おれはずっと秘密結社に焦がれ、神秘の瞬間を待ち望んでいたのだが。
それは、何か神もなく神秘もなくただ不思議な、無意味で無価値なそれでも何か。
魔法的な瞬間であった。
おれがそのとき展示した絵は、おんなが十字架に磔にされ火あぶりにされるという絵で。
それを舞台の最奥へと配置したのであるが。
その絵について問われたときに、それは薔薇十字であると答えていた。

北村昌士はキング・クリムソンについて解説した著作の中で、キング・クリムソンの音楽には男性原理と女性原理の結合があるというようなことを言っていたらしい。
薔薇十字とは。
ローゼンクロイツという実在しない人物を中心に結成されたというある種の都市伝説のようなものと考えているが。
薔薇とは女性原理であり、十字が男性原理であり、女性原理と男性原理の合一を示している。
それは色々な解釈は可能だと思うし、ユング心理学自己実現としてもとらえられるかもしれないし、魂の救済のような意味にとらえることもできるかもしれない。
または、錬金術との繋がりから解釈するすることも可能であるが。
おれはこう考えることにしている。
それはつまり分節され分化され、創造され形成されたものが。
再び太古の太一へと差し戻されるということだと。
つまり陰と陽が、光と闇が再び原始の幸福な黄金自体にあったように渾然一体なものへと差し戻されてゆき。
高速に振動するあの聖なるカオスが顕現する瞬間を暗示しているのだと。
おれはそう考えている。

祝祭とはそもそも原始のカオスを呼び覚まし、全てを何ものでもないものへと戻してゆくのであるが。
あの夜。
毎日新聞支局ホールで。
偽の祝祭を。
擬似的な聖なる瞬間を。
おろしてきたおれたちは。
そもそも何ものでなかったはずであろうから。
さて、一体差し戻されたのはなんだったのだろうかと。
そんなことを今更のように思ったりもする。

 

 

 

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