百物語 二十二回目「ジョン・ディー」

そういえば、二十年ほどまえ新聞の映画の紹介で、エリザベス女王を暗殺者の手から救うため魔法使いジョン・ディーが魔法の力で彼女を未来へ送るのだが、そこはパンクスに支配されたロンドンだったというのを読んだんだが。
一体なんというタイトルの映画だったかも覚えておらず、観てみたいと思うのだが、観るすべもない。

ジョン・ディーは映画のエリザベス・ゴールデンエイジにも登場してくる。
ジョン・ディーは実在の魔法使いである。
かつて魔法使いがどの程度宮廷の中枢で機能していたかは、よく知らないが。
少なくとも、ジョン・ディーは何らかの形で機能していたことは、まちがい無いと思う。

16世紀ごろ、魔法とはどのようなものであったであろうか。
それはまだ、科学と宗教が未分化の時代であったと思う。
そして、世界を知るための手だてのひとつとして紛れもなく魔法は存在した。
世界を知るということは、それをどのようにおれたちが見ているかを知るということと、同意義であり。
どのように見ているかというのは、結果的におれたちの意識のシステムを知るということになる。
現代においては。
現代の物理学者の多くは自分達が世界がどのようなものであるかをを探求しているのではなく。
むしろ、脳がどのように作動しているのかを知ろうとしていると感じている。
そもそも世界の仕組みは対称性にあるというのに、時間の対称性が破れているのは、おそらくひとの脳がそもそもそのような制約を持っているということではないかと。
では、魔法とはどのようなものであるか。
ある魔法を学んだひとは、このように語ったという。
目の前の現実をあたかも明晰夢を見ているように。
そのすべてが夢の出来事であるかのように、感じてゆき。
最後はその、夢をみているかのように現実を見ている自身の意識を変革することによって。
世界を変えてゆくことができるという。
そんな話がある。
魔法の知とは、自身の意識がどこかで世界と地続きであることを思い出させ。
その失われたリンクを復活させることにあると。
そんなふうに、思うこともある。

ジョン・ディーは。
天文学や物理学を学びながらも。
それらが自身の意識の奥底で作動している仕組みと関連していることを知ろうとしたのかも知れないが。
結局は辿り着くことはなかった。
それはまだ。
世界が駆動していくにあたり、多くの血と破壊を必要とした時代。
それはまだ。
世界が夢の中にあった時代。

 

 

 

 

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