百物語 二十三回目「脳について」

アンティキティラの機械よりも古いコンピュータがあるとすれば、それはひとの脳ということになろうか。
脳というものは、大変不思議な機械である。
そこでは複数重なりあって存在する世界がひとつの実存に向かって収束するという出来事が行われている。
量子力学におけるコペンハーゲン解釈に基づくのであれば、おれたちの脳が認識した瞬間に。
無数に平存していた世界は唯一のものへと収束するのだ。
かつてフリードリッヒ・ニーチェ賽の目がでる確率を測ることではなく、何千回、何万回振っても必ず同じ目がでる永劫回帰を問題にしたように。
予め定められていたように、ひとつの出来事へと収束してゆく。

例えば恋愛という出来事について考えてみると。
それが収束する以前は、それぞれが無関係な事象であった様々な出来事が。
ある一点、それは出来事というクロノスによって刻まれて行く世界から免れてしまう特異点
つまり恋愛という特権的瞬間が成立すると同時に。
全てがその特異点に向かって再編成されるようなものだ。
出来事が起こったその瞬間から。
過去に向かって世界は再び造り直される。
そしてドルゥーズが発狂した時間と呼んだ未来に向かって不断のレジスタンスを繰り広げるのだ。
自らの領土拡大を目指す帝国のように。

数学者ペンローズ人工知能とひとの脳の間に存在する越える事のできない断絶は、脳の中で量子の収束が行われているせいだと唱える。
脳の中で行われる量子的跳躍。
世界は脳の中で無数に平行して重なりあって、つまりコヒーレントな状態で存在している。
ペンローズによれば、それら重なりあいがある一定の限界を越えると、複雑系のカオスからノモスへの相転移が発生するように、脳の中で量子重力の崩壊が発生すると主張する。

恋愛は、個々の無関係な事象が無数に積み重ねられてゆくことにより。
ある瞬間に相転移が発生して自らを産み出す。
過去に向かって、未来に向かって。
狂った螺旋のように。
身を捩らせながら生成してゆくのだ。

 

 

 

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村