百物語 三十四回目「転移、逆転移」

学生のころの話。
絵を描いていた。
描くだけではなく、ときおりグループ展と称し画廊を借りたりしていた。
もちろん、美大でもない学生の描く絵など見にくるひとは殆どおらず。
画廊にいても、暇なばかりだったので。
色々馬鹿な話をしていた。
例えば。
そのころなぜか流行っていたマーラー大地の歌をかけながら。
同じ楽団で同じ交響曲を違う指揮者が指揮すれば、指揮者の特徴が判るのではということになって。
ウィーンフィルワルターが指揮する盤と、同じくウィーンフィルバーンスタインが指揮する盤を聞き比べたりしたのだが。
あまりに録音された年代が違うので録音の質もかなり違うし、何十年もたっていれば同じウィーンフィルというのに無理があるよな、とか。
そもそもワルターバーンスタインは兄弟弟子なんだから比べても意味ないんじゃ、とか。
実にくだらない話をしていた。
そんなある日、やはり画廊で。
当時まだ京都大学に籍を置いていたはずの河合隼雄氏の講演会を聞いてきたひとが。
こんなことを言っていたのだが。
「結局、母の愛がひとを救うんだという話をしておられました」
おれは、少々飽きれてつっこみをいれた。
「母の愛だって? ユング心理学でいうグレートマザーには鬼子母神のように恐るべき側面もあって、母子関係では子を縛り付け愛でころすようなこともあると言ってるだろ。そんなこと、ユング心理学者が言うわけないだろうが」
「そういえばそうですね」
結局その講演会で何が語られていたのかは、よく判らなかったのだが。
当時、精神分析やカウンセリングというものにおれは吸い寄せられていた。
そういった類の文献を読み漁っていたし、調べてもいたのだが。
一体なぜそんなことをしていたのかといえば。
要するに、そういったものにだまされたくなかったと。
そういうものに頼ってしまう日がくることのないように、自分を律するため。
むしろ敵を知るために。
そういったものを調べていたような気がする。

転移と逆転移について。
フロイドはユングに、転移と逆転移について問うたとき、ユングはこう答えたという。
「それはアルファであり、オメガです」
フロイドは、それを聞いて我が意を得たというように、頷いたという。
カウンセラーは、クライアントを決して教え導くのではなく。
むしろその話を一方的に聞くのみだと言われているが。
それでもなぜか。
治るときには、治ってゆく。
それは、クライアントが自身の想いを吐き出すことにより、それがカウンセラーに受け止められているという錯覚を持つためかもしれない。
だから、カウンセラーに対して、自分を支え導いてくれるひとという想いを抱き。
それはやがて恋愛感情に近いものへと高まることがある。
それを転移というそうだ。
また、カウンセラーのほうがクライアントに対して、愛情に近い想いをいだくことになる場合もあり。
それを逆転移というらしい。
それはけれども実際のリアルな恋愛とは違う。
あたかも一夜の夢のような、擬似的恋愛。
カウンセリングという。
闇の中をただただ歩いてゆき、たどり着く先もよく見えないその行程の中で。
最も危険な隘路こそ、その擬似恋愛という罠ではないかと思う。

結局のところ。
おれは、騙されぬ知識を得たのかというと。
よく判らない。
というよりも、心理学やカウンセリングを知れば知るほど。
結局のところひとが治るのは、カウンセリングの方法論に科学的根拠や説明可能な理由があるためではなく。
ただ治るときには治るのだとしか。
治るひとは自然と自ら治るとしか。
いいようがないという気がしてきた。
ただ。
中島らも氏がユングをさして。
狂気や無意識という恐るべきものに、延々と直面し続けたことには頭が下がるというようなことを言っていたのを読んで。
ああ、それはそうだなと思った。
そう、ニーチェがまさに言った言葉のように。
ユングはずっと深淵を覗き込み。
そして深淵からも見つめかえされていたひとなのだと。
そう思う。

 

 

 

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