百物語 十六回目「黒い悪魔を見たはなし」

ずっと昔、子供のころのこと。
よく、悪夢を見た。
そのころはまだ不安が虫の形をとるということもなくて。
もっと漠然とした恐怖があったように思う。
それは単純に、夢の中でどこか奥深いところへと入り込んでしまい。
そこから、帰れなくなってしまうのではという感じの。
なにかに魅入られて、とりこまれてしまうのではといった感じの恐怖であった。
しかし、その帰れなくなるもしくは、取り込まれてしまいそうになる世界には。
子供の夢らしい、何か異形のものたちが沢山いた。
お伽噺らしい魔物、幻獣たち。おれはそれらの中に入り込みそれらの一部になろうとしてたのかもしれない。
そうなったら、もう帰ってはこれないのだろうと。
子供のおれは、そう考えていたようだ。
そうした夢がとても怖かったため。
おれは、寝る前にはできるだけ楽しかったことを考えるようにしていた。
寝る前に漠然とした不安を感じていると。
それが夢の中で形を持ち、悪夢の中の魔物たちになるのだろうと。
そう考えていた。
けれどそうしたことは、なんの効果も持たず、結局悪夢を毎夜見ることになった。

さて、その夜のこと。
いつものように、悪夢を見て目を覚ました。
まだ辺りは暗く。
おそらく、夜明けの少し前くらいの時間であったのであろうと思う。
しん、とした闇の中で、おれは何かの気配を感じていた。
部屋の隅には大きくて黒い、ピアノが置かれていたのだが。
そのピアノのところに何かいる気配を感じた。
そうそれは、ちょうど夢の世界から抜け出してきたとでもいうかのような。
影が実体化したような、黒い魔物。
そんな夢の中にいる存在が現実にいるはずは無いと思っていたのだが。
けれども、もしかするとついにおれは向こう側から戻ってこれなくなったのではという漠然とした不安を感じながら。
おれは黒曜石でできた墓標のようなピアノの下にうずくまっていた魔が、ゆっくりと顔をおこし。
傷跡のような深紅の口をにんまりと歪め笑うのを見ながら。
今度こそ本当に目覚めることになる。

さて、ある日おれは勘違いしていたことに気がついた。
寝る前に楽しかったことを考えることによって、こころの中に棲んでいる魔物たちをおいやっているつもりだったが。
それはむしろ逆効果で。
目覚めている時に、出番がなかったのだから。
むしろ夢の中でこそ、活躍しようといった気になるのだと。
おれは、思い直した。
だからむしろ、寝る前はこころの中に魔物たちを呼び出して。
そいつらが厭きるまで遊ばしておくこと。
そうすることが、必要なのだと。
おれは理解した。
そして、本当に。
そうすることで、本当に夢を見なくなった。

 

 

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