百物語 三十回目「ヒサルキ」

8年ほど前のことになる。
そのころおれは、いわゆるデスマーチの真っ只中にいた。
例えば、月曜日に出勤して金曜日に帰るような日々で。
半年くらい、一日も休まず働いていた。
はたからは、死のうとしているように見えたらしく。
実際そう言われたこともあるのだが。
そういうつもりではなく。
エッセイでデスマーチがおこる原因について書かれているのを読んだことがあるのだが。
まあ、マネージメントの問題とかそういうものとはべつに、日本的なデスマーチの原因というのが書かれていて。
いうなれば、呪術的なものがあり。
自分自身を生贄としてさしだすことによって、プロジェクトを成功させようとするというのが書かれていたが。
確かにそんな面もあったかもしれないのだけれど。
本当は何も考えてはおらず。
ほぼ機械となって働いてる感じだった。
強いて言うなれば自分を消し去ろうとしていたのかもしれない。

そのころ殆んどプライベートの時間というものは無かったのだけれど。
ごく僅かなその時間を何に費やしていたかといえば。
なぜかネットで都市伝説関連の文章を読んでいた。
ヒサルキはそのころに出会った都市伝説だ。
2チャンネルで産み出されたのであろうその物語の内容はともかくとして。
驚いたのは、その作者はおそらく何処にもおらず。
いたとしてもそのひとは、いくつかの偶然の連なりを紡ぎあげただけで。
例えてみれば、星の並びを星座と名付ける行為に近く。
ヒサルキは自律的にそして自動的に作られ。
生き物のように。
拡大し、成長していく物語のようにみえた。
ネットは物語製造機械だと驚愕し。
それまで小説を趣味として書いていたのを、おれはやめてしまった。
何しろ物語はもう自動的に産み出される世界にいるのだという驚異の認識が、おれ自身に語るという行為をやめさせてしまったのだ。

小説を書いているときに思ったのだが。
物語を書くという行為において、「わたし」という存在は、余剰なものであると。
おそらく、物語というものは、自らの意思において書き手を利用し自らを生み出すのだと。
だから。
書くことの究極的な目的は自分を消し去ることなのだろうと。
そう思った。
わたしが姿を消し去ったときに。
この世の始めから存在するたったひとりの怪物が。
自ら語りはじめるのだと。
そこに辿り着きたいと思っていたのだが。
ヒサルキは。
そんなことを考えなくとも、ネットは怪物を模倣した擬似的機械があるんだと。

そんなふうに思った。

 

 

 

 

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