百物語 七十五回目「ウィンチェスター」

おれは過ちをいくつも犯してきた。
そして。
今もさらに積み重ねていこうとしている。
そんなことは、今更なのだが。
かつて、過ちについて、このようなことを語ったことがある。

「過ちとは、量子力学的なふるまいをする事象だと思う。
個々の愚かな行為を行っている間、そのときの行為はシュレディンガーの猫が生と死が重なりあった状態にあるように、それはまだ過ちとは決定されていない。
でも。
愚かな行為が積み重ねられ、それが自らの重みで崩壊して誤りと決定された時。愚かな行いだけではなく、積み重ねられた全てが過ちの自壊へなだれこんでいく。
コヒーレントに重なり合った波動関数が量子重力の崩壊で、一意に局所実在化するようなものだ。」

これはまた、呪いについても似たようなことが言える。

ウィンチェスター社はアメリカの西部開拓時代からある老舗の銃器メーカーである。
スミス&ウェッソン社の前身となる会社からライフルの権利を譲り受け。
主にライフルの製造を行ってきた。
この会社の創業者の未亡人が作ったウィンチェスター・ミステリー・ハウスこそが。
過ちが生のように蠢き。
いうならば、カオスから立ち上がり語りかけてくるような場となった。
つまり。
それは過去の累積が自壊してゆき、今を規定するということだ。
ひとは、どのように生きようとも。
結局のところ過去の愛の憎しみの哀しみの絶望の奴隷であるというかのように。
ウィンチェスター・ミステリー・ハウスは、無数に折り畳まれた襞のような秘密の部屋に。
過去を。
流された血を。
幾つもの哀しみを抱え込み。
その場を、そして、現在を、そして未来を過ちへと飲み込んでゆく。
結局のところ。
ひとは持続に基礎づけられた多様性からの自由を獲得するためには。

過ちもまた生である自由へと。
乗り越えていかなければなららないのだろう。

そう考えたりもする。