百物語 五十三回目「真白き花と星の河」

夜は黒いビロードのように、世界を覆っていた。
その優しく滑らかな夜空の黒い幕に、無数に開けられた穴のような白い星々が輝いている。
僕は、黒に黒を塗りつぶしたような夜を歩いていた。
気がつくと、白い花が咲き乱れているような。
あるいは、真白き骨の破片を撒き散らしたかのような。
白い河が目の前を流れていた。
あたかも、夜空に瞬く星々が地上に墜ちてきたように、光の囁きのような煌めきを放ちながら河は流れてゆく。
僕は、その星たちの呟きを地上に埋め込んだ河の側を歩いていった。
そして、僕は唐突に何かを思い出したように、その小屋を見つける。
夜の闇に置き去りにされた、灰色の箱のような小屋に向かって僕は歩いていった。
本当にその小屋は、まるで星々の間から降りてきたというかのように僕の目の前にくる。
その、墓標の灰色をした小屋の扉に手をかけ、僕は棺桶の蓋を開くようにその扉を開いた。
そこは、陽が沈んだ後の東の空みたいな薄闇に満たされていたのだが。
次第に僕の目が闇になれてくると、雲間から姿を現した月が段々地上を照らしはじめたかのごとく。
僕の目は小屋の中を見通すことができるようになってきた。
その小屋の中心にはひとりのひとがいる。
僕はなぜか古い記憶から取り出されてくるような直感で、そのひとがおんなであることを知ることができた。
おんなは、冬の雪雲のような灰色のマントで身を覆っており。
そして、そのマントについたフードで頭部を覆っていた。
フードで頭を覆っているため、その顔は見えず表情も窺い知ることはできない。
そして酷く奇妙なことにその全身は棘薔薇で縛られており、身動きすることができず、またその棘がおんなの身体を傷つけ責めさいなんでいるようだ。
僕はそのおんなの刑罰を受けているかのような不思議な姿を見た瞬間に。
こころを熱のワイヤーで縛り付けられたような気持ちにとらわれた。
そして僕はそのおんなの前で燃え盛る焔を、見出だす。
それは、溶けていく深紅のルビーのような、あるいは秋の夕暮れに西の空を燃え上がらせる夕日のような深く激しい色彩を纏った焔である。
おんなは時折炭を焔にくべると、身を狂おしく捩らせる終末の龍がごとき焔を育てているようだった。
その焔の上には、死のように黒い大鍋がかけられており。
その鍋には、宝石のように色とりどりに輝く花々が入れられている。
その、赤や黄色、橙に紫そして青の花たちは焔の熱を吸い上げ色に変えているのだちうかのように。
ゆらゆらと、さらに鮮烈な色を滲み出させてゆく。
茫然と小屋の中に立ちすくんでいる僕に、ようやく気がついたというようにおんなは言葉を発した。
「ここに入ってきてはいけません」
想像していたのに反し、小鳥の歌声のように涼やかで美しい声で、おんなは僕に語りかけた。
僕は、ハンマーで心臓を殴られたような重みを胸に感じながら、おんなに応える。
「一体どうして」
僕は、なぜか老人のようにしわがれた声になったしまったが。
それでも、力を振り絞って言葉を重ねた。
「僕はここにいてはいけないというのでしょう」
おんなはそれに答えず、骨のように白い指先を僕の背後へと伸ばして見せる。
僕は思わず振り返り、白い光が扉の外から滲みでているのを見た。
僕は、小屋の外へ出ると、夜の河のほとりに立つ。
空の一角が、白く輝いている。
それはとても大きな白い花びらのような、鳥たちであった。
月光を翼に纏いつけたような鳥たちは、ひらひらと冬の空が降らす雪片のように無数に舞いながら地上へと、降りてくる。
気がつくと、おんなが小屋からでてきて河のほとりに立っていた。
その苦痛のメタファーのような姿をしたおんなを見て、僕のこころは焔のような熱い思いにつつまれる。
そして。
真白き光の花束のような鳥たちの群れが。
おんなを包み込んだ。
僕が叫び声をあげた瞬間。
鳥たちはおんなの苦痛の戒めを切り裂き解き放ち。
憂鬱な衣装も引き裂き細切れにして、おんなの足元へと撒き散らした。
僕は、降臨した女神のように、美しい月のような裸身を晒したそのおんなに、息をのみ。
そして、涙した。
その肌は新雪のように汚れなく凄烈で。
流れるような黒髪は夜の河のように優しく波打ち。
何よりその両の瞳は。
深夜に燃え盛る漆黒の太陽がごとく神聖に君臨し。
僕のこころを幾度も幾度も串刺しにし、しばりつけ、焼き焦がした。
その絶望とみまがうような幸福と、苦痛の模倣をしたかのような快楽に僕は涙をとめることができぬまま、おんなを見つめ続けたが。
気がつくと、花びらのように白い鳥が僕の目の前に立ち。
その嘴が僕の胸を裂くと、燃え盛る焔のように深紅の心臓を取り出した。
その死にかけの小動物みたいにひくひく痙攣する心臓をとりから受け取ったおんなは。
赤い塊を鍋へと放り込み。
煮込まれた心臓は、目にも鮮やかな深紅の薔薇へと姿を変えた。
官能的に濡れそぼり、ひくひくと脈打つ深紅の薔薇をおんなは鳥の中でも一際大きく王のような風格を持つ鳥へと手渡す。
おんなから花を受け取った鳥たちは。
真白き竜巻のように風を巻き起こしながら天へと昇ってゆく。
僕は茫然として、河べりに膝をついたのだが。
気がつくとおんなが僕の傍らに腰をおろし、優しく微笑んでいるので。
僕らはそのまま手をつないで、いつまでもビロードのような夜空を昇ってゆく雪のように白い鳥たちを見つめていた。
いつまでも。
いつまでも。

 

 

 

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