百物語 五十七回目「一つ目坊」

学生時代の話である。
おれは、嘘をつくのが好きな彼と話ていた。
「おまえ、眠たそうやな」
彼の言葉に、おれは答える。
「夢見が悪かったんだよ」
「夢なんか見るのか。 どんな夢なんや」
「いや、それが」
多少、ここに書くには憚れる内容の夢なのであるが、詳細をはぶくとようするにおれは男性器を切断して自殺する夢を見たのである。
その話を聞いたとたん、彼はにこにこと楽しそうにしはじめた。
「なんだよ」
「いやあ、とうとうきたんやなと思って」
「どういう意味だよ」
「まあ、いつかはくると思っとったよ、おれは」
「何がいいたいんだよ」
「おまえはさあ。そういう運命なんや」
「たかが夢だろう」
「いやいや。 その夢は間違いなくおまえの真実をついてる」
「どういう真実だよ」
「そういう真実やろ」
おれの周りのひとたちは、誰かあたまのいかれるやつがいるとしたら、間違いなくおれが一番最初と思っていたふしがあり。
まあ、そう思われてもしかたない感じなんだが。
逆におれだけがしぶとく生き残るとは。
誰も予想はしなかっただろうなと思う。

一つ目坊は言うまでも無く、僧衣を着た一つ目の妖怪である。
英語で「one eyed jacks」というと男性器の隠語であるという話があったように思うが。
その由来はよく知らないのだけれど。
これは俗説なのであるが、一つ目の妖怪が男性器と関連するという話があったように思う。
柳田國男は妖怪は落ちぶれていった神であるという説を唱えていたらしいが。
それでいくと一つ目坊の元となった神は、天津麻羅神であるということになるから。
ということなのだと思う。
しかし、天津麻羅の麻羅はそもそも梵語からきているので、この島国でいうところの「まら」とはまた意味が違う。
それはさておき、天津麻羅神は天目一箇神のことでもある。
天目一箇神ダイダラボッチが一つ目ひとつ足の姿をとる場合に、そのようにも呼ばれるらしい。
これらの神は、鍛冶師と関係がある。
おそらくは、鍛冶師たちの神である。
鍛冶師やおそらく陶芸家、染め屋といった工芸家集団は、秘儀秘教的な秘密結社を古代には形成していたものと想像される。
まあ、工芸の技術を神秘なものとしてとらえていたという側面もあるのだろう。
彼らは神秘思想を持ち、場合によっては異形の神を崇拝していた。
異形の神。
ミルチャ・エリアーデは、神話に登場する英雄たちが往々して四肢の一部を欠損していたり過剰であったりすることを指摘し、それら英雄は始原の世界のカオスを呼び覚ますためにそのような標しを身体に持っていたとしているが。
異形の神もまた、その異形性は始原の世界のカオスに連なるものであることを意味しているように思う。
ある意味。
それら異形の神を信望する秘儀秘教的な工芸家集団たちは。
そうした始原のカオス、何ものでもないが何ものでもありうるような潜在性の海のようなカオスから。
力を引き出す術を知っており、それを秘儀として身体に刻み込んでいたのではと。
そんなふうに思う。

おれはまあ。
カオスから力を引き出すなんて事はできなかったし。
なんとなく生き延びてしまった感を拭えないのであるが。
まあ、異形のものたちと夢の中ではせめて仲良くしたいものだと。
年をとるにつれ、切に思うようになった。

 

 

 

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