百物語 五十八回目「見越し入道」

中学生のころの話である。
おれの通っていた中学は兎に角アナーキー&バイオレンスな学校だったので。
まあ、おれの性格の悪さも災いしてか。
やたらと殴られた。
虐めにあっていたという自覚はあまりなかったというか。
まあ、学校というのはそんなもんだろうと思っていたわけだ。
例えばこんな感じで。
「おれが本気を出して殴ったら、おまえの内臓は破裂するぜ」
とか。
「おまえの腕の骨、このまま折ってやってもいんだぜ。そうしたらおまえ、どうするのかなあ」
という感じだったが。
実際には内臓が破裂したり、骨を折られたこともないので、結局大したものでは無かったということなんだろうけれど。
面倒くさいなあ、とかさっさとやるならやってくれよ、という感じだった。
ただ。
そのときだけは。
足がすくみ何もできないまま、ただ殴られていた。
そいつは。
薄ら笑いをうかべたまま、おれを殴る。
それはただ挑発するためだけの、撫でるような殴りかたで痛みは無かった。
そいつの瞳には、怒りや憎しみ、あるいは嗜虐の喜びすらなく。
その笑みの奥から、おれに問いかけているような気がした。
(さあ、やろうぜ。おまえとおれで。闇の中へ、堕ちてゆこぜ)
そのときおれは選択をせまられていたのだと思う。
闇に身を投じるか、ふみとどまるか。
その時たまたま教師が近くを通りすぎたので、そいつは舌打ちすると、おれの側から離れていった。
おれはその時、恐れていたのだろうと思う。
おれの中にある闇が。
どんどん大きくなり、おれを呑み込んでいこうとしているのを。

見越し入道は。
陽が西の空を焦がしながら沈んでゆく、夕暮れ時に。
道のむこうから小さな小僧がやってくるのだが。
その小僧を見ていると次第に大きくなり。
夕闇の中で影が伸びてゆくように。
その姿は、気がつくと巨大な入道になっているという。
恐怖にかられて、そこから逃げ出すとその後病に倒れ、最後は死にいたる。
それが見越し入道であり、病と死に至る恐怖に連なっているようだ。
ただ。
その見越し入道に対して、「見越し入道、見越した」と言ってやれば。
もとの小僧の姿に戻りやがて消えてゆくことになる。
見越し入道は結局のところ、おれたちのこころから滲み出した恐怖が黄昏時の闇を借りて立ち上がってきたもののように思う。
だから、もしその恐怖に破れてしまうと。
おれたちはそのまま自分の中の闇に喰われてしまうということなのだろうと思う。
恐怖を否定したり、そこから逃げ出したり、それと敵対し打ち消そうとしてはならない。
そうすると、それは見越し入道のようにさらに巨大化していくだけなのだ。
必要なのはむしろ、それを認め冷静に見下ろすことができれば。
多分おれたちは、恐怖と手を携えて前へとすすむことができる。

おれはそのときもしかすると、闇に呑み込まれてしまう所だったのかもしれないけれど。
まあ偶然に救われる形となった。
では、おれは自身の闇を、そして不安や恐怖を見下ろして生きていけるようになったのかというと。
そんなところには至りはしなかったけれど。
それでも、恐怖と儀礼的なダンスを踊りながら、日々を渡っていけるくらいにはなったような気はする。

 

 

 

 

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