百物語 五十六回目「ドラゴン」

高校生のころの話である。
大阪市立美術館は、天王寺公園の中にある。
今では有料化され、普通の公園になったが。
30年前にはかなりカオスな場所であった。
昼間から、酒をくらい、歌をうたって、踊り続ける。
そんなひとたちが、たむろしている場所であり、素性や得体のしれないひとたちが行き交う場所であった。
その中に、大阪市立美術館は君臨していたのであるが。
そこで、高校生を対象とした美術展が開かれており。
おれはそれに出展したのだが。
たまたま、そのからみで絵の師匠と美術館のそばで待ち合わせをした。
なぜか師匠は一時間ほどはやくついており。
おれがようやく辿り着いたときには、とても不機嫌であった。
師匠が言うには。
「なんだか風体の怪しいやつが僕のところにきて、兄ちゃん仕事あるか? って聞くんや」
師匠は、さらに言葉を重ねる。
「ああ、あるよって言ったら、どこかにいきおった」
師匠は、不機嫌そうに締めくくる。
「今日は、まともな服装できたつもりやったんやけどなあ」
さて、その時出展した絵は、巨大な龍が空を飛行しているというものであった。
あまり全うなものではないかもしれないけれど、なんというか色々なものがふっきれた感じの作品であったようにも思う。
燃え上がるように紅い、空の下を。
巨大な生き物が滑空していく様を。
思う存分描いてみたかったのだ、おれは。

東洋において龍は、自然の力を象徴するものであった。
オロチ、ミズチの「チ」は自然の精霊を現す言葉であり、イカヅチの「チ」も同様である。
八岐大蛇については、河川の氾濫を現したとも言われる。
西欧のドラゴンはこうした東洋の龍とは根本的に違う何かがある。
それは悪の担い手であると言える。
それは世界の終末に、全てを破壊していくような、邪悪な力を持っている。
だから常に西欧世界では英雄たち、騎士たちは、ドラゴンを退治しなければならないのだろうが。
その根本に遡ると。
おそらく、エヴァを誘惑した蛇こそが。
最も古く邪悪な龍とされるのだと思う。
だから、全ての罪業は、龍が担うことになると思う。
さて、グノーシス主義的な観点からいうと。
エヴァに知識の実を与えたのは、救い主としての龍であるということになる。
つまり。
グノーシス的に言うと位相が逆転し、龍は救い主ということになる。
それはさておき。
ユング心理学者が紹介する、キリスト教初期の文献。
まあ、十字架で魂を釣り上げるというものであるが。
魂はしばしば恐ろしい姿をとることがある。
それは、龍のような怪物の姿もとる。
結局、ドラゴンというものは、邪悪な精神の負の側面も、救済を示す正の側面も。
同時に併せ持っている、総体であり、それこそがおそるべき怪物であり。
それはユング心理学でいうところの「自己」となると思うのであるが。
まあ、このあたりはおれの妄言であると言ってもいい。

では龍の絵を描いたおれは、自分のこころから魂を釣り上げようとしたのかというと。
なんだかそうであるような気もしない。
ただ単にそれは。
巨大な生き物に対する憧れや、畏敬の念みたいなものだけだったようにも思う。

 

 

 

 

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