百物語 八十三回目「サンジェルマン伯爵」

おれは、元々アルコールには強い方ではないため、すぐに酔い潰れることになる。
だから、記憶を失うほど飲むことは、殆どない。
けれど、一度だけ。
酒を飲みすぎて、記憶を失ったことがある。
学生の頃のことであった。
サークルの合宿で、琵琶湖のほとりにある民宿に泊まったときに、酔いつぶれて記憶を失ったことがある。
嘘をつくのが好きな彼が、後におれにこう語った。
「いや、真面目な話。救急車を呼ぼうかと思ったわ」
いやいや、本当に死ぬかと思ったんだが。
おまえが飲ましたんだろ。
「まあ、そうやな」
おれは少しため息をつくと。
どうでもいいと思いつつも、一応尋ねてみた。
なんで、そんなにおれに飲ましたんだよ。
「寂しかったんだよ。おまえしか一緒に飲んでくれるやつがいなくて」
なるほどね。
記憶というものは、脳内に保持されると思われるのだが。
短期の記憶領域と長期の記憶領域があり、短期の領域から長期の領域に移動させるのは、海馬体と呼ばれる器官が行っているらしい。
アルコールはおそらくこの海馬体を麻痺させるために、短期の記憶を失うことになるようだ。

サンジェルマン伯爵は。
不死のひとであると名乗っていたようだ。
たとえ、アレキサンダー大王と酒をくみかわしたとか、イエス・キリストに予言を授けられたと言われても。
まあ、実際のところ検証しようがないところはある。
同じように、不死を自称していたカリオストロ伯爵から、不死となる秘薬の製法を書いた本を譲り受けたという伝説もあったように聞く。
不死であったかどうかはともかくとして、表面的な事象を説明するのであれば、複数のひとがひとつの記憶を共有していたのだと考えれば、大体の説明はつけれるように思う。
さて、記憶とはなにかという話になるのだが。
おそらく短期の記憶は、シノプシスの発火状態として保持されているような気もする。
けれど、ひとの記憶を保持するにはシノプシスの量は少なすぎるという説もあるようなので。
何がしかの形で記憶は保持されるのだろうけれど。
ただ、物質の化学的な状態で保持していたとしても、多分記憶を思い出すのにかかる時間が膨大になってしまうと思われるので。
電磁気的かそれに類する方法で保持する必要があるのだろうと思う。
記憶は分子の持つ場の性質として保持されるという説を読んだ記憶がある。
もしそうであれば、別に記憶は脳内に保持される必要はない。
物質であれば、なんでもいいような気がする。
例えば、サイコメトリーはそうした物質に場の性質として付着し保持されている記憶を読み取っているという解釈もできるだろう。
サンジェルマン伯爵は、そうした外部の物質に付着した記憶を共有するひとの集団であったとすれば。
説明がつくと思うのは、あくまでもおれの妄言である。

おれたちは。
時折、記憶を無くすこともある。
それらは、どこかひとしれぬ海の底にでも沈んでしまったものに付着した記憶であり。
月日と海の流れが記憶を押し流してしまったのかもしれないと。
暗く光の届かない海のそこに。
失われた記憶や言葉たちが、ひとしれず浮遊している。
そんなふうにも、思ったりもする。