百物語 六十四回目「僕らはなんだかいつも全てを忘れてしまうね」

たん。
た、たん。
たた、たん。
た、たたん、たん。
たたん、たたん、たたん。

闇の中に規則正しいリズムが響いてゆく。
それは心地よく、僕の心音と同期をとるように律動を作り出す。
身体を揺らす振動は、僕をまるで宙に浮いているような、不思議な気持ちにした。
(ねぇ、凄いよ)
闇の中に降りてきたあなたの声に、僕は目を見開く。
僕らは、そのシートに凭れ合うようにして仲良く並んで座っていた。
あなたは、僕の方を見て微笑みかけている。
ああ、いつものように美しく見開かれた、黒曜石の輝きを持つ瞳は僕を貫き。
桜色の唇から漏れる甘やかな吐息に、僕は酔いしれながら。
夢見るような気分であなたを見つめていた。
あなたは少し華やいだ表情を見せて、窓の外を指差す。
あなたはそして、振り向くと窓の外を見る。
夜空にかかる銀灰色の雲たちが、漆黒の海原を高速で泳いでゆく海獣のように飛び去っていく。
僕は、あなたの眼差しを追い、窓の外の大地を見る。
そこには、静寂を花に変えたような真白い花々が咲き乱れる平原が広がっており。
その平原の奥にある沼地から、幾羽もの、そう幾羽もの銀色の鳥達が。
漆黒の夜空へ向かい飛び立ってゆくのを見ていた。
僕はその地上から天上へ向かい、銀色の雪が舞い上がってゆくようにも見える荘厳な風景を眺めつつ。
あなたに肩を寄せると、触れ合った肩からあなたの温もりがそっと伝わってくるのが判り。
僕らを揺さぶる規則正しい律動の中、昼間の日差しのようなあなたの暖かい体温が優しく僕を包み込んでゆくような気がして。
いつの間にか、僕は笑みを口の端にのせた。
あなたは、はしゃぐような笑みを見せるともう一度言った。
(凄いねぇ、この景色)
ああ、凄いねぇ。
僕は独り言のようにそう答えると、あたりを見回す。
薄暗く細長い、ある種洞窟のようにも見えるその車内は僕たち以外のひとの気配は無かった。
あなたと僕は、肩と肩を寄せ合って、お互いの体温を共有するかのように身を近づけてシートに座っている。
やがて、白い花の咲き乱れる平原を越えて湖の畔を駆け抜けてゆく。
鏡のように蒼ざめた水面に、炭に塗りつぶされた夜空と銀灰色の雲が映り込み、飛び去って行った。
僕はふと気配を感じ、傍らを見る。
そこには、ひとりのおとこが立っていた。
僕は、ポケットから切符を出しておとこに渡す。
おとこはその切符を見ると満足げに頷いて、僕に返した。
そして、僕はあなたの分の切符も持っていたはずだと思いだし、ポケットの中を探るのだが。
まるで遠い記憶を探し求めるように、僕はあちこち探すのだが。
それは見つからず、少しずつ焦燥が僕のこころに膨らんでゆくのだけれど。
おとこは怪訝な顔をして、僕に問いかける。
「何を探しているのですか」
僕は、答える。
もう一枚、切符があるのですが。
「でも」
男は少しだけ微笑むと、首を傾ける。
「あなたひとりしかいないのに、切符なら一枚で十分でしょう」
何を 、 言って いる の。
と、僕はあなたのほうを振り向き。
そこに誰もいないことに気がつく。
そして、おとこのほうを見ると。
白衣のおとこが笑みを浮かべ、頷いて見せる。
僕を乗せた車がまた動きだし、規則正しい律動が蘇った。

たん。
た、たたん。
たた、たん、たんと。

僕の心音と同期を取るように緩やかな振動が僕を浸してゆき。
白い壁、白い天井、白い床が過ぎ去ってゆく。
僕は、何か眩暈のようなものを感じ、奈落の底へ落ちてゆくような感触に恐怖を覚えながら、目を閉ざす。
そして再び訪れた闇の中で、その規則正しいリズムに耳を傾ける。

たん。
た、たん。
たた、たん。
た、たたん、たん。
たたん、たたん、たたん。

闇の中に規則正しいリズムが響いてゆく。
それは心地よく、僕の心音と同期をとるように律動を作り出す。
身体を揺らす振動は、まるで宙に浮いているような、不思議な気持ちにさせられた。
(ねぇ、凄いよ)
闇の中に降りてきたあなたの声に、僕は目を見開く。
僕はあなたの華やいだ顔に陶然となりながら、あなたの黒い真珠のように美しい瞳が写す風景を目で追った。
黒い影に被われたような大地に、巨大な十字架が聳え立っている。
それは漆黒の夜空を貫くのではないかと思われるほど、高く高く聳えており。
あなたは、はしゃいだ笑顔を見せて、その十字架を指差した。
(凄いねぇ、この景色)
その霊峰のように高く聳えている十字架に向かって、銀色の鳥達が無数に飛んでゆく。
それは、解き放たれて故郷を目指す無数の魂のように、天頂の蒼ざめた空に向かって延びている十字架へと飛んでゆく。
あなたは、優しく微笑み。
ああ、僕は何かを忘れているようだと笑みを返して。
こうひとり言を漏らすのだ。

「僕らはなんだかいつも全てを忘れてしまうね」

 

 

 

 

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