百物語 七十回目「KLF」

12年ほど昔のことになるだろうか。
田舎に造られた、とある企業の研究所のようなところに、仕事で通っていた。
いわゆるバブルの時代に山に囲まれた土地を切り開いて、街をつくりだそうとしたところであって。
バブルが崩壊するとともに、都市を造り上げる計画も中途半端なところで消えさてしまったらしく。
高級住宅街のような街並みが、いくつかの企業の研究所に囲まれるようにあることはあるが。
その周囲には延々と里山を切り崩して造ったらしい住宅の建設予定地であろう平地があるばかりで。
ひとが住むというにはあまりに人工的な世界であり。
子供のころに住んでいた山を切り崩して造ったであろう住宅街とも少し似ていたのではあるが。
それ以上に、ひとの住む場所という気配が希薄であった。
そこは通うためには、電車に大阪の中心部から一時間は乗り続ける必要があるところである。
なにしろ、線路が途中で単線になてしまうこともあり。
電車がすれ違うことだけでも随分時間がかかるのだ。
その田園地帯を貫いて走る電車に乗って何をしていたかというと。
まあ、小説を書いていた。
その時にに使っていたのが、主にPDAと呼ばれるもので。
スマートフォンと呼ばれるものが普及するとともに、すっかり姿を消すことになったのであるが。
当時はどこでもネットにアクセスするには、必需品といえた。
今ではいわゆるアンドロイド端末を使っているが。
何より驚いたのはLINUXをオペレーティングシステムとして採用した端末が携帯電話に使われたことだ。
オープンソースオペレーティングシステムは、いわゆるエマニュエル・ワーラーステインが言うところ脱商品化という概念を具現化したもののようにも思う。
つまり、携帯電話という製造責任を追求されるであろう商品にはそぐわないもののようにも思えるのだが。
グーグルの力がそれほどのものと言うことなのか。
着実に浸透しつつある。
所謂ITと呼ばれる業界では、ものを作ることより著作権を手に入れることの方が重要であった。
つまり。
オープンソースのように著作権を放棄したところから始まるものは、ジョブスやゲイツにとって得体の知れぬ怪物のようなものであったろうが。
かの二人が舞台から姿を消した今、オープンソースがそれとは知られぬままに、世界を覆いつつある。
これは、とても奇妙に思える。

KLFは、著作権解放戦線という名を持ったバンドである。
80年代の後半であったか。
ロックをハウスが扼殺するという言葉があったとおり。
いつのまにか、ロックはアクチュアルなジャンルとしての地位をダンスミュージックやヒップホップに譲ってゆくことになった。
それは二十年ほど前にジャズから譲り受けた荷物を渡したという感じもするが。
KLFは、ヒップホップのパンク的解釈と名乗り。
ある意味、時代に対するロック側からの逆襲ともとらえられるのかもしれないが。
パンクなのは音楽性においてではなく。
あきれるまでにアナーキー著作権無視と、権威に対する反逆であって。
造り上げられる音そのものは、アンビエンスなクラブサウンドであり。
まるで、秘密の夜を熱に浮かされながら銀河の空を渡って疾走していくような。
そんな感じの音をアナーキーにつまり著作権無視のサンプリングで造り上げていた。
彼らの代表作のひとつに、チルアウトというアルバムがある。
クラブのダンスで躍り続けた後。
虚脱した状態、まあ、いいかえればダウナーなトリップ状態とでもいうべき時間に。
流れていく音楽ということであり。
アナーキーな彼らが造り上げている静寂と平和な世界ということなのだろうけど。
なんだかおれは。
あの、人工的につくられた都市に向かう途中の。
半ば自然のままの長閑さを持ちつつ。
それでも人工的な自然であるような気がしてしまう。
あの見捨てられた街のことを、なんとなく思い浮かべながら彼らの音楽を聴いている。

数年前、久しぶりにその街にいってみたが。
広大な空き地にはいつの間にか大きなショッピングモールが出来ており。
住宅地もそろってきて。
すっかり街らしくなっていた。
いっぽうで、おれとしてはどんどん著作権ビジネスが終了しつつある気がしていて。
まあ、著作権解放戦線も時代の先駆けであったと思える日がくるのかもと。
そう、思ったりもする。