百物語 八十一回目「おとろし」

こどものころから、色々なものが怖かったようだ。
今となってはなぜそのようなものを怖れていたのかよく判らないものまで、怖がっていた。
小学生のころはどうも怖れていただけなのだが。
中学生のころからは、怖れをいだくとともに魅了されるようになった。
そのころに。
おれは、怪奇小説のようなものにのめり込んでゆくことになる。
そのころは大都市の書店へゆくことなど、ほとんどなかったが。
近隣の書店で手に入る本は限られていたし、そうたくさん買えるほどお金もなかった。
ただ、家のすぐ近くに古本屋があって。
そこでよく古ぼけた文庫の怪奇小説を買って読んだものだ。
後に知ったのだが。
おれがその西日が差込む店内の赤く染まる書架で、背表紙が色あせ独特の匂いを漂わす古本を手にして。
好んで買った本は。
アメリカの1930年代、ウィアードテールズという怪奇小説雑誌に掲載された小説を源流とする物語たちであったようだ。
遠い昔。
世界恐慌により資本主義社会が構築した様々な諸価値が崩れ落ちてゆく中で。
呪詛の呻きのように浮き上がってきた物語を。
おれは読みふけり。
その物語の中にどこか異界へと通じる扉が隠されているように感じたものだった。
そして。
おれもいつかそのような物語を書き上げて。
あの古ぼけた書架に色あせた背表紙の文庫のひとつとして並べることを夢想したものだった。

おとろしは。
恐ろしいからきているといい。
わいらという。
畏らからきているという妖怪と一対をなすという説もある。
元々、妖怪というものはひとが抱く恐れの感情に形をあたえるために造られたものといわれるので。
おとろしはまさにその妖怪の根本である部分を担っているかのような名を持つが。
別の説では。
元々おどろおどろの誤読からきているともいう。
おどろとは。
棘のことであり。
髪がぼうぼうとした様であるともいう。
おとろしは、髪を振り乱した獣のような姿をした妖怪である。
呪術的な世界では。
髪とは忌諱の対象とされるという。
ひとは時として、髪に恐れをいだく。
なぜなら、髪はひとの意志とは関わりなく伸びてゆくものであり。
死者の髪も死体を放置していると伸び続けるらしい。
その制御できないひとの理からあたかもはずれてしまうものが、剥き出しの姿で現れるのは。
恐れの対象となるのだろう。
しかし、髪は美しいものとされひとを魅了するものでもある。
それは、ひとのこころから離れ、未知の世界に繋がってゆくもの。
ひとをどこか異界へと誘うものであるから。
ラプンツェルはきっとそうであるがゆえ、編んだ髪を使い魔法の塔から逃げ出せたのだし。
髪を切られたサムソンは死を迎えることになる。
そして、ひとは肉体を最初の他者と呼ぶ。

幼き日々。
おれは、異界へと続く扉がこの世のどこかにあるのかもしれないと夢想し。
それを捜し求めるために、本を読み漁っていたのだが。
けれど、その異界への扉はもしかすると。
おれの身体の中に。
潜在性としてそもそも眠っているだけで。
それを開くことをしなかっただけなのかもしれないと。
今となってはそう思ったりもする。